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NO.118  2010.11.21

「感謝のDNA」

 

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
(Ⅰテサロニケ人への手紙5:17-18)

 

今日は感謝祭、サンクスギビングの礼拝です。この1年間、神様が与えて下さった恵みを感謝し、喜びを共有したいと心から願います。
感謝祭は、1621年にメイフラワー号に乗り、信仰の自由を求めてイギリスからアメリカにわたった清教徒たちの収穫祭に由来します。彼らが、マサチューセッツ州のプリマスに到着した年の冬は大変厳しく多くの人たちが命を落としたといわれています。しかし、それにもくじけず、労苦した甲斐があって翌年の秋には多くの作物の収穫を得たのでした。当時彼らを受け入れ、様々な助けを惜しまなかったインディアンの人たちを招待して、教会で神に感謝を捧げ、共に祝ったのが始まりでした。辛苦をなめながら労苦した収穫祭は格別の喜びがあったに違いありません。
翻って私たちはどうでしょうか。ある人にとっては一年の感謝を捧げましょう、といってもなかなか心の底から喜べる状況ではないかもしれません。どうしても足りないものや、満足できないことなどが心を支配して、素直に喜べないという人もいるかもしれません。そういう私も、まだこれからクリスマスの伝道イベントや様々な計画を覚えると気ぜわしく感じてしまいます。また、兄弟姉妹の中には病と闘っておられる方や、様々な問題を抱えて祈りの格闘をしている人たちのことを覚えると心が痛みます。
しかし、聖書の言葉に目を向けるとき、感謝とは感謝できることがあったから感謝するというのではないことが判ります。神が望んでおられること、それは「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。全てのことについて感謝しなさい。」ということです。この神のすすめは私たちに対する命令でもあります。
してもしなくても良いことではなく、しなければならないことなのです。キリスト者にとって不可欠なことだからこそ神が語っておられるのです。言葉を変えて言うなら喜べないからこそ、喜びなさい。祈りが答えられないと思える状況だからこそ祈りなさい。感謝できないからこそ感謝しなさい。ということなのです。
これは単なる思い込みや、自己暗示のたぐいではありません。神を信じる信仰が感謝の土台であり、神への信頼が祈りの支えなのです。信じる者を神は導いて下さいます。神は全てを益に変えて下さいます。どのような中にも神の守りと支えがあります。私たちの労苦や犠牲は決して無駄になることをありません。そのように受け止められるからこそ積極的に喜び、祈り、感謝を献げていくのです。
たとえ今苦しく辛い状況にあったとしても神があなたを支え導いておられることを信じて、感謝しようではありませんか。調度、雨や曇りの日であっても、雲の上には太陽が輝いているように、神は厳然とおられ、導いておられるのです。この神との交わりが与えられていることを先ず感謝いたしましょう。キリストの中に流れているこの感謝の遺伝子(DNA)を私たちの生活の中に流しましょう。感謝を見つけて感謝しようではありませんか。主の御手があなたの上に豊かにありますように。感謝は感謝を生み出し、祈りは祈りを生み出し、感謝は感謝を生み出していくのです。

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