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NO.114  2010.10.24

「主の弟子になることは幸せなことだ!」

 

あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。
主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。
主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。〔ゼパニヤ書3:17〕

 

キリストを信じて歩む歩みは本当に喜びであり、恵みである。そのように捉えることの出来る人は幸いです。ところが、私たちはしばしば極端に走る傾向があります。一方ではキリストに従う道は修験者のような難行苦行の道のように捉えて修行をすることが信仰だと思う人がいます。この道はやがて疲れと苦しみが伴うようになります。また、一方ではキリストを御利益宗教のように捉えて何でも自分の思うとおりになるのが信仰だと勘違いをしたりしてしまいます。しかし、思うとおりにいかないと信仰に対する疑問が起こってくることにもなります。   
たしかに、信仰における訓練も大切です。またキリストの豊かな祝福と利益が豊かにあることを忘れてはなりません。しかし、それが信仰の本質ではないのです。本質を外してしまわないために信仰の中心軸を明確にしておくことが大切です。
私たちの信仰の中心、それはイエス・キリストです。私たちを愛し、ご自分の命を捧げてくださったこのキリストとの交わりを中心として人生を構築していく。イエスが願っておられる思いをキャッチしてそれに従って生きていく。それがキリスト信仰なのです。このキリストとの深い交わりが生活の中心となっていくときに、私たちはイエスの弟子になりたいという願いが起こり、イエスの使命を果たしていきたいという動機づけが起こってくるのです。
先日、セル宣教ネットワークのコーチングの集いがございました。特に今回のテーマは、エンパワーリング〔能力付与〕ということでした。教会は牧師や教職者だけが動くのではない。教会の兄弟姉妹がみな、主の弟子として整えられ、共にキリストの福音の拡大のために用いられていくことが大切であるという学びでした。
イエスキリストは天に召されるときに「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」〔マタイ28:19〕という大宣教命令を出されましたが、それはとりもなおさず「弟子化命令」でした。
ところが、今までの弟子訓練はなにか、訓練という言葉のイメージが先行してしまい、苦しいもの、辛いもの、何かさせられるものというような捉え方をしてしまう傾向がありました。またそのような内容の弟子訓練が成されてしまった現実がありました。
しかし、今回の分かち合いで、弟子になることは本当に幸せなことなのだと言うことを改めて意識させて頂きました。人の人生が変えられ、キリストにあって成長し、豊かな人生を歩むことが出来るようになる。価値観が変り、イエス中心の祝福の人生が与えられていく。その人の成長に関わり、お手伝いし、共に成長することが出来るとは、本当に幸せな、ハッピーなことなのです。その喜びや幸せ感が土台となるなら、試練や困難も喜びを持って乗り越えていくことが出来るのではないでしょうか。
弟子のイメージを変えませんか。イエスの弟子になることは本当に幸せになることなのです!「主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。」のです。

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