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NO.111  2010.10.03

「祈りのバックアップ」

 

こうして、ペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。
(使徒の働き12:7)

 

先日、教会のパソコンの外付けハードディスクが2台続けて壊れてしまいました。一つには教会の礼拝の動画が、もう一つには教会の名簿のデータベースや写真類が入っていました。色々回復に向けて試みているのですが、復旧はなかなか難しい状況です。
「何でバックアップを取っておかなかったのだろうか」と悔やみましたが、結局は後の祭りです。何時かはちゃんとコピーを取っておこうと思っていたのですが、そのままになっていました。どこかに教会のパソコンのハードディスクは大丈夫といった妙な自信があって、結局それがおごりだったのだなと思わされます。人に起こることは自分にも起こる可能性があることを考え、予防策として必ず同じデータをコピー〔バックアップ〕してとっておくことが大切であると改めて思わされています。
 しかし、このことは単にパソコンの話しだけではありません。私たちの生活にも同じ事が言えるのではないでしょうか。今まで大丈夫だったから、これからも大丈夫と思い込んでいることが多々あるのではないでしょうか。健康も、ビジネスも、人間関係も、表面上は大丈夫のように見えても、その根拠を問われるとなかなかその根拠が言えないと言うことも多いのです。単に今までうまくいっていたからという何となくの感覚で生きていることも多いのです。
 もちろん、もしものことが起こることを予想し過ぎてしまうのも、行動が縮んでしまう恐れがありますから行き過ぎも考えものです。しかし、備えあれば憂いなしで、日頃から、自問自答しつつ、改善できることは改善し、備えることは備えておくことが大切です。
 特にキリスト者にとって最大の備え、それは祈りです。祈りを通して私たちは神と交わります。その交わりの中で、自分の歩みを顧みたり、神様からの問いかけを頂いたりするのです。また、神の助けと援助を祈る事により、人の力ではなく神の力によって事をなすことの素晴らしさに気づかされるのです。
 ペテロがヘロデ王の手によって捕らえられたことが使徒の働き12章に出てきます。ペテロは牢に入れられ厳重な監視下にありました。そのとき、教会では熱心な祈りがペテロのために捧げられていました。ペテロには教会の祈りのバックアップがあったのです。その祈りは神の御手を動かし、やがて御使いがペテロに現れ、彼は御使いによって解放されるという奇蹟を体験するのでした。
教会の兄弟姉妹の祈りのバックアップそれは大きな力です。祈りのないリバイバルはありませんし、祈りのない教会成長もありません。祈りのない弟子の成長もありませんし、祈りのない宣教活動も奉仕も考えられません。
祈りのバックアップは十分でしょうか。あなたが成そうとしていることを神にゆだね、祈りのバックアップを十分にいたしましょう。また自分一人で信仰生活を送るのではありません。教会は家族としての共同体でもあります。ですから、祈りの依頼を周りの人に積極的にして、祈りのバックアップを周りの兄弟姉妹からもうけるようにいたしましょう。祈っていれば安心です。祈っていれば確信が来ます。祈っていれば信じることが出来るのです。何にも増して祈りのバックアップをしっかりといたしましょう。

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