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NO.109  2010.09.26

「神の後押し」

 

病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。
行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」
イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」 (ヨハネ福音書5:7-8)

 

一週間の間に、様々な人々と出会います。多くの場合、いろいろな問題を抱えて苦しんでおられたり悩んでおられる人たちです。神様により頼む人生に導かれ、キリストの救いに預かっていただきたいと願ってカウンセリングをし、とりなしの祈りをさせていただきます。
関わった方々に変革おこる時は、多くの場合、ご自分の現状を認識され、神の助けを求めて祈り始められる時から始まります。しかし、同時にその変革を妨げる様々なこだわりや囚われがあることに気づかされます。今まで慣れ親しんできた行動パターンや考え方(人生観)が邪魔をして新しい流れを妨げているのです。そうしてそれは頑強に自分自身に染みついていることに気づかされるのです。
聖書にも38年間ベテスダという池のそばに、病の癒しを求めて伏せっている男の話が出てきます。その池には言い伝えがあり、御使いが池をかき回す時に最初に入った人は癒されるというものでした。ですからその池の周りには沢山の病人が癒しを求めて寝そべっていたのです。調度、現代の病院の外来のようです。この男は38年間そのチャンスを逃し続けていました。そんな彼にイエスは近づかれて「よくなりたいのか」と聞かれたのでした。
男は即座に「はい、良くなりたいです」とは言えず、誰も自分を池に入れてくれないとか、行きかけると他の人が自分よりも先に行けに降りていくと言い訳をしてしまいます。考えてみればこの男のような生き方を私たちもしているのではないでしょうか。
状況が変わらないのは、周りが悪いと他人のせいにしてみたり、いつも自分だけが貧乏くじを引いていると思い込んでみたりするのです。意識がそこにあるものですから、イエスの問いにも素直に答えられないのです。彼にとって、いやされる唯一の道は最初に池に入ることだと思い込んでいました。そのためには助けてくれる人が必要だが、その助けとなる人なんか誰もいない、と決め込んでいました。自分の人生を嘆き、周りを気にして生きる人生だったのです。それが常態化していましたから、別の可能性への思考が停止していたのです。
しかし、イエスはそのような彼にチャレンジされました。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」 
このイエスの言葉の勢いに従った時、彼は床を取り上げて歩けるようになったのでした。38年間の人生がイエスの出会いとイエスの言葉によって大きく転換したのでした。
私たちにもイエスは「良くなりたいのか」と絶えず問われ、「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」 とチャレンジされ、後押しをして下さるのです。嘆いていても、周りが変わることを求めても、事態は変わりません。しかし、自分の人生に集中し、神の言葉に正面から向き合って受け止めていくときに、状況に変化が生まれ始めるのです。
  イエスの言葉をしっかり受け取りましょう。言い訳をしている間はまだ本気になっていないのかもしれません。あなたの人生を変えて下さるのは主イエス以外におられないのです。握っているものを手放そうではありませんか。

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