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NO.107  2010.09.05

「神の業が現れる人生」

 

「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神の業がこの人に現れるためです。」
(ルカの福音書4:21)

 

歴史のことを英語ではヒストリー(history)といいますが、それをよくHis-story(ヒズストーリー:彼の物語)と表現したりします。彼の物語とは、もちろん神の物語であり、歴史と言うことです。私たちはそれぞれの人生を生き、それぞれの歴史を刻んでいます。しかし、同時に私たちは自分の歴史を歩みつつ、実は神の歴史の中に組み込まれ、神の御支配の中に生きているということを忘れてはなりません。歴史の支配者である神の御手の中で、私たちは歩んでいるのです。
 神を認めない世界では、全てが偶然であり、自分たちがめいめい好き勝手に生きていけばよい。という考えになってしまいます。しかし、神を歴史の支配者として受け入れ、その導きの中で生かされていると思えるようになると、全てが意味あるものとして見えてくるのです。
神が私たちを創造され、神の作品として生かしておられるのです。生きる目的と意味が与えられ、神の祝福の中に生きる事を神は願っておられるのです。たしかに、人生は山あり谷ありです。しばしば問題や試練もやってきます。時には、何でこのような困難をくぐるのだろうかと、つぶやきたくなるようなことも起こってきます。しかし、私たちの歴史の支配者である神の存在を認めると、全てが神の御手の中で、祝福に変えられ、益になることが信じられるようになるのです。
 先週も、佐久ホープチャペルの開設の祈り会に、教会の兄弟姉妹と出席いたしました。総勢30人近い祈り会になり感謝でした。この教会は20年前に松吉牧師夫妻が開拓された時にまで遡ります。ご主人が伝道途中で天に召されました。しかし、そのあとを奥様の松吉牧師婦人が、その宣教を引き継ぎ、今にまで至られたのです。そうして今回、村山清門兄弟を伝道師として迎え、佐久ホープチャペルとして再スタートされるのです。もし、20年前の開拓がなされなかったなら、今回の佐久ホープチャペルの祈り会も実現していなかったのです。汗と涙といのちを削って伝道した信仰の先輩達の祈りと労苦があればこそ今の伝道所の存在があったのです。
神様にとって無駄なものは何一つ無いのです。私たちの視点からばかり見ていると、苦労しか見えないかも知れません。全てが無駄で骨折り損と思われるかも知れません。しかし、神様は私たちの歩みを覚えておられ、神の御業がおこるために、神は全ての事柄を用いて働かせてくださるのです。
生まれつき目が見えない盲人に対して、弟子達は見えない理由ばかり探していました。誰が悪いのかと犯人捜しをしていました。しかしイエスは「「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神の業がこの人に現れるためです。」と明快に答えられたのです。わたした地も神の業が現れるためにここに生かされていることを覚えましょう。
悲劇の主人公になるのではなく、神の祝福の主人公であることを信じ感謝しようではありませんか。あなたも私も神の恵みの歴史の中で、生かされていることをおぼる者となりましょう。

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