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NO.102  2010.080.1

「知恵ある助言者」

 

「わが父よ。あの預言者が、もしも、むずかしいことをあなたに命じたとしたら、
あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい。』
と言っただけではありませんか。」 (Ⅱ列王記5:11-13)

 

毎日うだるような暑さが続きます。こう暑いと体調ばかりでなく、気持ちもイライラしてしまいます。心にゆとりがなくなると人の言葉にすぐ反応してかっとなったり、きつい言葉を出してしまうこともあります。感情のコントロールは私たちにとって大きな課題でもあります。しかし、度を超してしまうと、怒りなどの感情が人生を狂わせてしまうこともありうるので気をつけなければなりません。
旧約聖書に出てくるナアマン将軍のエピソードはそのことを私たちに教えてくれます。彼はアラムの将軍でしたが、ライ病にかかっていました。イスラエルの預言者が祈っていやしてくれるということを耳にした時、彼は即座に土産物を携えてイスラエルに向かうのでした。彼の心は大きな期待で胸をふくらませていました。祈ってもらっている姿を想像し、癒された様子を描いていたに違いありません。
ところが、はるばる出向いたにもかかわらず、預言者エリシャは出てきません。代わりにしもべを遣わして「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい」とことづけさせるのでした。その預言者の態度にナアマンは激怒してしまいます。「出ても来ないし、患部に手を当てて祈ってもくれない。おまけにあの汚れているヨルダン川に入って身を洗えという。何という無礼な態度か。はるばる土産物を携え、アラムの王の親書を携え、礼を尽くしてやってきているのに。」そんな思いで彼は帰ろうとするのでした。
しかし、我を忘れてしまっているナアマンに助言をしたのが彼の部下達でした。その助言によって、ナアマン将軍は自分自身を取り戻し、何のためにイスラエルまでやってきたのかその目的を再認識するのでした。思い直したナアマンはエリシャがいうとおり、裸になって泥水のヨルダン川に入ります。7回繰り返して水から出ると彼の肌は幼子の肌のようにきれいになったというのです。もし、部下の助言がなかったら、一時の怒りで癒しを受け取らずに帰ったことになったでしょう。彼の人生は生涯ライ病に悩み続ける人生になる恐れもあったのです。彼は知恵ある部下の助言に助けられたのです。
私たちも一時の感情で神の恵みを失ってしまうことはないでしょうか。日々私たちの周りには様々な状況が起こります。それに振り回されて、心騒がせ、戸惑い、我を忘れ、怒り、悲しみ、に支配されてしまうことはないでしょうか。感情に支配されると生きる目的や進む方向性さえ見失ってしまうことになりかねません。
そのような状況の只中にありながら、私たちには神の支えがあることに思いを寄せる者となりましょう。信仰的な祝福的な意識で神が導こうとされている方向性をしっかりと見据えていきましょう。また、あなたに冷静さを取り戻させる兄弟姉妹や教会の助言を大切にするのです。感情が激しているときに大切な決断はしないことです。先ず祈る。聖書の言葉に耳を傾ける。また教会の牧師や信仰の友に祈ってもらう。そのためにこそ教会という愛の共同体があるのです。

聖霊は私たちにとって最高のカウンセラーです。聖霊の助言を聞き取っていく者となりましょう。
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