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NO.100  2010.07.18

「飢え乾きに気づこう」

 

「また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。」(マタイ9:36)

 

I am the way先週、二日間、札幌へ出張いたしました。札幌の教会員の姉妹達が開いておられるカフェがあるのですが、そこから教会に導かれている方々や、求道する方々が次々と起こされています。今回も木曜日には4人、金曜日には5人の方々のカウンセリングが入っていました。限られた時間ですから、時間の切れ目がないほどびっしりと立て込んだカウンセリングでした。しかし、スポンジが水を吸うように渇いた心にキリストの救いや導きが与えられていく様子は、神様が生きて働かれていることを強く感じさせられ、本当に恵みのただ中にあることを実感いたしました。
人の心の本当の姿は外からはあまり見えません。私たちは毎日何人もの人たちと行き来しますが、一見、幸せそうに見えたり、何も問題なんかないように思えます。自分のことで精一杯で、自分の問題の解決が先行して、周りの人に注意が向けられることがないかもしれません。また、この人はどんな悩みがあるだろうかなどといって注意して人を観察することもないでしょう。
イエスは群衆を見られたとき、どのような姿を見てとられたのでしょうか。それは「羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている」姿でした。羊は元来弱い動物です。羊飼いがいなければ生きていけない存在です。右に行くことも左に行くことも自分では判断ができないのです。その弱い羊が迷い子になっている。その行く末は弱り果てて死を待つだけというような姿、それがイエスの前にいる人たちだったのです。
私たちの周りにもイエスが見られたような人たちがいることを忘れてはなりません。真の救い主であり羊飼いであるイエスに出会っていななら、それはみんな弱り果てた迷い出た羊以外の何物でもないのです。ただ、それが表面からは見えないだけなのです。
今回、カウンセリングをさせていただいた方々もそれぞれに様々な問題や悩みを抱えておられました。
そのカフェに来なかったら、そこでクリスチャンとの交わりがなかったら、また牧師に会うようにというすすめがなかったら、その方々との出会いもなかったのです。
イエスほど憐れみ深いお方はおられません。神様は人々の叫びを聞いておられます。弱り果てた姿を見て、ご自分の心が裂かれるほどに痛みを共感され、救いの手をのべられたのがイエスでした。私たちもそのイエスの救いの御手で救われたのです。
あなたの周りにいる人の叫びや弱い果てた姿が見えないでしょうか。イエスに先ず祈りましょう。あなたの語りかけや関係を通してキリストに出会う方々が必ずおられるのです。そのためにイエスはそのような人々と出会うチャンスを与え、また相手にもあなたに出会わせるように配慮されてその機会を必ず与えて下さいます。自分の必要にだけ心を向けるのではなく、少し周りの人に意識を向けてみませんか。どうか、あなたの愛を解き放って下さい!

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