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NO.097  2010.06.27

「信仰的タフさを養う」

 

また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、
自分を神のしもべとして推薦しているのです。 (Ⅱコリント6:8)

 

サッカーワールドカップは戦前の予想を覆して、決勝トーナメント進出が決まりました。フランスやイタリヤなど名だたる強豪チームが姿を消す中、韓国チームと共にアジアから二つのチームが決勝トーナメントに進むことが出来たのは特筆すべきことです。
 それにしても日本チームはよく頑張っています。直前の親善試合での不調から予選リーグでは一勝もできず敗退するのではないかと予想されていました。しかし、そのような予想を覆し、益々波に乗っています。当初の目標であるベスト4も現実味を帯びてきました。これからの活躍を期待したいものです。
 今回の事で、人の評価にまどわされず、しっかりと自分の役割に徹していくことの大切さを覚えさせられます。昨日までは監督更迭まで言われていたのに、今は岡田監督の続投も言われるほど評価はうなぎのぼりです。当人にしかわからない事情や苦労があると思いますが、それは表に出ないために表面だけ見て人は批判してしますのです。
伝道者パウロも様々な批判にさらされたことがありました。以前クリスチャンを迫害していたとか、彼の話は弱々しいとか、それこそあることないことを彼は言われたのです。しかし、彼はそのような批判に翻弄されることなく、神のしもべとして歩み通しました。いやむしろそしりや悪評は神のしもべには、つきものであって、それらを通して自分は神のしもべとして推薦しているのだとも言っているのです。
私たちは打たれ弱い存在です。人の言葉にすぐに躓きます。人がどう思っているかも気になります。誰でも人に褒められたいし認められたいのです。しかしそればかりに焦点を当てていると浮き沈みの多い歩みになってしまいます。
しかしイエスを知った今は人の評価ではなく、神の評価を第1にして生きるようになったのです。ですから絶えずイエスの声を聖書を通して聞くものとなり、私たちの焦点をイエスに向けル事が大切です。イエスの評価が第1です。イエスのあなたへの評価は変りません。私たちの中心軸をぶらさないようにイエスに聞く習慣を身につけようではありませんか。
 またパウロがそうであったように私たちの歩みは神の使命に生きるようになったのです。あなたの生きる目的は神の輝きをその人生を通して周りに放っていくことなのです。あなたの存在と生き方、そのものが信仰の証しです。パウロは冒頭の御言葉に続いて「私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、 悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。」と告白しています。人には見えない特別な神の御業が現わされる人生を歩ませていただいていることを覚えましょう。どんな状況でも動かされない信仰的なタフさを信仰によって身につけることが出来るのです。

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