閉じる

NO.096  2010.06.20

「たゆまぬ変革」

 

今、大相撲が存亡の危機に立たされています。連日、多くの力士や親方が野球賭博に関わっていたことがニュースで取り上げられ、暴力団との関係が明らかになっています。底が見えないほどの広がりで名古屋場所の開催も危ぶまれています。
スポーツと言うだけでなく、日本の伝統文化の一つであり国技でもある大相撲は庶民に愛され栄えてきました。しかし、同時に公益法人として保護されてきたため、いつの間にか一般の社会とは違う独特の世界を形成するに至ったようです。
今、第三者機関が設置され事態の解明と改革にむけた取り組みがなされようとしています。大麻事件、暴力事件など不祥事続きの相撲協会ですが、今回の危機を通して大改革がなされ新生大相撲が誕生することを願ってやみません。
この一連の大相撲界の不祥事は私たちに改めて、変革の必要性を教えてくれています。この地上に存在する個人や社会、さらには様々な組織も完全なものは一つもありません。みな不完全です。そうして不完全であるが故に絶えずその有り様を問い続け、改革することはないかと吟味していくことが求められるのです。 継続すべきものを見極め、変えなければならないことは変えていく。そのことをたゆまず行う個人や組織は成長をし続けることができるのです。
教会もクリスチャンも例外ではありません。もちろん、私たちの救いや存在の値打ちは変わりません。また聖書の真理は変わりません。しかし、だからと言って神の教会だから今やっていることで間違いない。神を信じているから自分は変わる必要はないと言うことにはならないのです。いやむしろ神に向き合えば合うほど、祈れば祈るほど、御言葉に聞けば聞くほど、自分の至らなさに気づかされ謙虚にさせられるのです。その謙虚さは私たちに、神が願われていることは何かを考えさせ、絶えず変革への指向が与えられてくるのです。
人間の細胞も部位によって違いはありますが、体全体の4分の3は一年で入れ替わると言われています。神様が造られた体も新しいものに日々変わっているのです。ただし、ほとんど変わらないのが脳と心臓の細胞だそうです。大切なものは変わらない。しかし、そのほかの変わるべき細胞はどんどん入れ替わる。これが原則なのです。

私達がこれでいいと思っているものの中で捨てた方がよいものはないでしょうか。また変えた方がよいものはないでしょうか。新しい変革へのチャレンジを共に受け取っていくものとなろうではありませんか。

 

私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。(Ⅱコリント3:18)

 

閉じる