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NO.092  2010.05.23

「聖霊に飢え渇く」

 

五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。・・・すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。 (使徒の働き2:1-4)

 

今日は、ペンテコステの日、すなわち聖霊降臨日です。過越しの祭りから数えて50日目、調度ペンテコステ(5旬節)と呼ばれる収穫感謝の祭りの只中で、復活されたイエスが約束された聖霊が弟子達の上に注がれたのでした。この圧倒的な聖霊の傾注は、弟子達が他国の言葉で話し出すほどに、驚くべき現象を巻き起こしました。以来、キリスト者が体験するこの聖霊の満たしのことを、「聖霊のバプテスマ(浸礼)」とも「聖霊充満」とも呼ぶようになったのです。
聖霊体験をした弟子達は人々が驚き呆れるほどの確信と力強さを持ってイエスの福音を大胆に宣教していきました。どんな妨害や迫害も彼らを止めることは出来ませんでした。この弟子達の宣教の記録を記しているのが「使徒の働き」ですが、しかしその働きは聖霊の働きによったので、「聖霊行伝」とも呼ぶようになったのです。
私たちはこの聖霊降臨日をただ記念するだけではなく、この聖霊の力と臨在を共に体験する者になりたいと思います。この聖霊の満たしは一度きりの体験ではなく、継続されて満たされていくものです。聖霊に満たされたキリスト者ほどダイナミックな信仰に生きる事が出来るのです。
この聖霊の満たしを受けるための条件はシンプルです。それは「聖霊に飢え渇く」と言うことです。聖霊を受けた弟子達は飢え乾きの絶頂にありました。自分たちの弱さをいやというほど経験していました。十字架を前にしてイエスを見捨てた弟子達でした。自分の確信の脆さを体験した弟子達は自分達の無力さを痛感していました。神の助けなしに弟子として立つことが出来ないという認識と、イエスに信頼して生きることが本来の信仰の意味であることを深く覚えていたのです。
彼らは10日間の祈りに導かれました。ただひたすら祈ったのです。聖霊を求め、上からの力を求めて祈りました。そうして祈りの中で聖霊に対する渇望が極に達したのです。その時、聖霊が注がれてきたのです。
ですから、私たちも聖霊に飢え渇く者となりましょう。あなたの信仰の不足感、欠乏感、それは聖霊が注がれるための備えとなります。自分に失望している人もそうです。神の使命に生きるために、力の不足や能力の不足を覚えている人も渇きがあります。進むべき道が見えず迷いの中にある人も聖霊に触れられる絶好の時を得ていると言えます。自分に絶望するほどに聖霊に対する渇きが増すことを憶えたいと思います。
  私たちの教会も力強く前進し、神の働きを遂行していくためには、この聖霊なる神様の助けと導きが不可欠です。「御霊と道からの現れ」が現れるような教会となるように祈ろうではありませんか。その中心にこそあなたがいることを覚えてください。

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