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NO.089  2010.05.02

「閉ざされた先にある恵み」

 

こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、
イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。
・・・ある夜、パウロは幻を見た。
ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」
と懇願するのであった。 (使徒16:7-9)

 

「人が一生かかってできないことを、神は一瞬のうちにすることが出来る。」この言葉はわたしを導いて下さった牧師先生のモットーです。素晴らしい信仰の言葉ではないでしょうか。言葉だけ聞くといかにも簡単に神が働かれて、問題も解決して下さるように思ってしまいます。しかし、それほど単純ではありません。先生の生涯には宣教に伴う様々な困難や苦難がありました。しかしそこに神は働かれ御業を現わして下さったのです。だからこそこの言葉には重みがあります。
私たちの生活にはいつも良いことばかりが起こるとは限りません。いやむしろ、試練や困難が日々起こってくるのが人生です。そのようなときにどう反応しどう行動するか。そこに信仰のあり方が問われます。
パウロは海外宣教を3回も敢行した人でした。その2回目の時です。計画をハッキリと立てていたパウロでしたが、どうしたことか目的地に行こうとするのですが、色々な邪魔や困難が起こり前進できなかったようです。北に向かおうとしてもいけず、南に行こうとしても行けません。それをルカは「イエスの御霊がそれをお許しにならなかった」と記しています。
聖霊が行く手を閉じられ、パウロ達一行は迷ってしまいます。ついにパウロ達はトロアスという町に着きます。そこで祈っているとパウロは幻を見るのでした。なんとマケドニヤ人が懇願して「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」と叫んでいるではありませんか。それでパウロは悟るのでした。マケドニヤに宣教に遣わすために聖霊は行く手を阻まれ、パウロたちを導かれたのだと。閉ざされたことは次の道が開かれるための前提だったのです。
私たちは物事が進まず、うまくいかないとすぐにつぶやきます。何故なんだろうと文句を言いたくなります。あるいはやっぱりダメかとあきらめるかも知れません。しかし、神は私たちのために道を備えておられるのです。あなたの計画の前進が留められたのは神の意図があることを覚えてください。更に良きことのために主は私たちを導かれるのです。
そう考えられると、留められることもまた恵みではないでしょうか。行き詰まったことによって祈ります。神に問います。時には必死になって神に導きを求めます。その信仰の取り組みが大切なのです。真剣に神を求めれば求めるほど主は私たちを確実に導いておられる事がわかってきます。
次々とやることなすこと思うようにいかないとき、一度立ち止まるようにしてみましょう。神の恵みのドアが近づいてきていることを信じようではありませんか。神のご計画は深いのです。

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