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NO.077  2010.02.07

「愛のチャレンジ」

 

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、 不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。  
愛は決して絶えることがありません。(Ⅰコリント13:4-8)

 

第1コリント13章に記されている愛の章の1節です。大変美しい愛の本質が綴られています。しかし、
このような愛が自分の内にあるかと問われたら、答えに窮してしまうのが実際の私たちではないでしょうか。
それどころかこの御言葉の対極に自分が位置していると自覚してしまうほど、この愛の言葉は私たちに愛の実体を鏡のように見させてくれる御言葉です。
 昨日、第1回目の結婚コースが修了しました。6組のご夫婦が参加して下さいました。7回を3ヶ月かけて学んだのですが、参加された方々皆さん、修了までくることができて本当に感謝でした、と感謝の言葉を語って下さいました。もちろんその言葉の中には、お互いの理解を深め合うことができたことへの感謝の思いと同時に、よくここまでたどり着くことができたという安堵感も感じられました。と言うのもこの結婚コースを通してお互いしっかり相手と向かい、また自分自身とも向き合うことになったからです。
課題をこなしながら、お互いのコミュニケーションを図るのですが、自分は全然気にしてないことを相手は気にしていたり、自分では相手のことを知っているつもりでいたけれど実は知らないことが何と多いかということを沢山発見することになったのです。それ故に、色々なぶつかり合いやすり合わせを余儀なくされたご夫婦もあったようです。しかしそれはそれで大きな意味のあることであり、本当に収穫の多い学びの時だったと言えるのではないでしょうか。
 本気で愛することを実践しようと思えば、覚悟がいります。夫婦の間で、家族の間で、様々な人間関係の中で、愛がなければ関係が崩れてしまいます。愛は私たちの生活には必要不可欠です。しかし、愛するということはチャレンジ(挑戦)でもあります。なぜなら自分自身が変ることが求められるからです。お互いの間にある課題に向合わないで避けたり、相手が変ることを求める間は愛が機能しないのです。
愛は感情ではなく意志です。また、愛することを決心する決断でもあります。でも、勇気を持って一歩踏み出そうと思ってもなかなかそれができない。その力がないことに気づかされます。自分が何と無力で、弱いのか知らされます。しかし、そこから神への祈りが生まれるのです。イエスの助けなしには、愛すること出来ないことに気づくのです。
主イエス様は本当に素晴らしいお方で、どんなところにいても私たちを助けて下さいます。一歩一歩、主に向きながら、主の助けをいただきながら歩み始めると、不思議な神の御業を体験することが出来るようになるのです。冒頭の御言葉が決して実現不可能ではないことを体験するようになるのです。
愛のチャレンジをあなたが受けているとするならば、それはあなたが主に愛されている証拠です。そのチャレンジを受けて、主イエス様を見上げて祈り始めて下さい。聖霊の大いなる助けをきっと経験するはずです。

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