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NO.076  2010.01.31

「キリストの血潮の力」

 

ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。(詩篇51:7)

 

先週は札幌集会がありました。ちょうど2月5日からの雪祭りの準備のため大通公園は様々な雪像が姿を現わし始めていました。今年でちょうど61回目だそうです。今回のテーマは「純白の夢よぶ世界の広場」だそうです。聞いたところによればなんと5トンのダンプカーで6500台分の雪が運び込まれたそうです。雪像も160を越えるものが制作されているそうで完成されたあかつきには本当に圧巻でしょう。
 制作されつつある雪像や氷像を見ながら、聖書に記されている御言葉が浮かびました。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。」 これはダビデの祈りとして数えられている詩篇です。
イスラエルの王として、その権力と名声を得ていたダビデでしたが、彼は自分の情欲に惹かれて姦淫の罪を犯してしまいます。誰にも解らないと思っていたその罪を預言者ナタンに鋭く指摘されます。その言葉は
ダビデに深い罪の自覚を生じさせました。自分は何という罪を犯してしまったのか。嘆きとも取れる言葉の中に自分は生まれながらにして罪人であることを覚えたのでした。
自分の力ではどうすることも出来ない大きな罪を負っているという自覚です。ダビデは、神様のあわれみにすがります。必死にもがくように、「自分を洗ってください。そうすれば雪よりも白くなりましょう。」と祈ったのでした。ダビデが思いつくこの世で一番白いもの、それが雪だったのです。今の自分の心は雪とは真反対の黒く汚れた心だけど、神様が洗ってくださるならば、雪よりも白くなるでしょう。そんな信仰の告白と共に必死で祈ったのでした。
ダビデの祈りは人ごとではありません。私たちも同じではないでしょうか。自分を見れば本当に心が汚れている事に気付きます。ちょうど白い雪に落とされた墨がその黒さを際だたせるように、神の御言葉に触れれば罪の自覚がいよいよ深まります。しかし、だからこそ、そんな私たちを救うためにイエスキリストは来てくださいました。十字架に架かられ血を流してくださいました。そのキリストの血は私たちの罪の汚れを洗いながして清めてくださるのです。自分の罪を自覚してダビデのようにイエスに告白し、イエスの血潮で罪を洗ってください、と祈る人はその罪が赦され清められるのです。雪よりも清くしていただけるのです。何という恵みでしょうか。雪を見るごとにこの御言葉を思い起こし、イエスの血潮によって救われていることを感謝するものでありたいと思います。
 今札幌でも7~8名の方々が集っておられますが、イエス様によって罪赦された喜びで輝いておられます。一人の姉妹は、会社を退職されて福音を伝えることの出来るカフェを3月から始められます。2月からは借りたカフェの場所での集会が始まります。神の愛を一杯伝えたいそんな思いで励んでおられて本当に感謝です。イエスの血潮には人を変え、動機づけ、福音に生きる行動に移させる大きな力があることを改めて思わされます。あなたの罪もイエスによって洗われていることを覚えてください。

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