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NO.073  2010.01.10

「捨てるべきものはなんですが?」

 

あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、 新しい人を着たのです。(コロサイ3:9-10)

 

かつて南洋での猿の捕獲する方法を聞いたことがあります。ちょうど猿の手が入るほどのツボをいくつか用意し、好物の木の実か何かを中に入れておくのです。すると猿が出てきてツボの中の木の実を見つけます。手をツボの中に入れて、その大好物を取ろうとするのですが、しかし手一杯に握ったままでは壺から手を抜くことが出来ません。ツボから手を抜くためには結局握っている木の実を手放さなければならないのです。しかし大好きな木の実は手放せない。そのジレンマで葛藤している間に、捕獲されてしまうというのです。
 考えてみるとわたしたちも猿と同じようなところがあるのではないでしょうか。大好きなものは手放したくない。しかし、新しい恵みをいただきたいと思えば、しばしば握っているものを手放さなければ、古いところから抜け出すことは出来ないのです。新しい年、私たちはさらなる成長を願いますが、そのためには私たちが大切だと思ってしっかりと握っているものを手放すことが必要です。新しい恵みはそのときにつかむことが出来るのです。
 先週のディボーションテキスト「マナ」のメッセージコーナーにノートルダム清心女子学園の理事長で、シスターの渡辺和子さんの話が出ていました(p61)。修道院に入る時に修道者は三つの誓願を立てるのだそうです。それは清貧、貞操、柔順です。自分の財産、家族、わがままを捨てて、神のみこころにだけ生きる誓いを立てるのです。
ところが、大きなものは捨てたけれど、小さな事は捨てきれないということを修道生活で経験されたそうです。すなわち、チャペルで自分がいつも座っている席に他の人が座っていると腹が立つ。自分が使っている湯飲みに固執してしまう・・・等々。たしかに私たちも日々、自分の中にある執着の強さや自我の醜さを覚えます。でも主はそのような私たちを救ってくださったのですから、そのことを先ず感謝し、自らの捨て切れていないものは今年の私たちの信仰の目標として受け止めて、積極的に神の助けをいただきながら神様の取り扱いをいただきたいと思います。
古い人を脱ぎ捨てましょう。そうしてキリストにある新しい人を着る者になりたいと心から願わされます。
二つの面から自分の生活を見てみましょう。捨てるべきものは何か。色々な領域に蓄積された余分な古いゴミがあるかも知れません。こびりついていてなかなか落ちないかも知れません。でも聖霊なる神様が助けてくださいます。聖霊により頼みましょう。
次に、自分が得たいと願っているキリストの品格はどのようなものか。キリストの内にある品性(愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制、(ガラテヤ5:22-23))が自分の内に獲得されるように祈り求めてチャレンジしてまいりましょう。

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