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NO.068  2009.12.06

「イエスから目を離さないで」

 

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。
イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、
神の御座の右に着座されました。
(ヘブル人への手紙12:2)

 

師走に入り何かと気ぜわしさを感じてしまいます。クリスマスチャリティーコンサートを始めとしていくつかのクリスマス礼拝がありますから、それらの集会の忙しさを先取りしてしまっているのかも知れません。更に今年もあと残り一ヶ月を切ったことで何かやり残したことがあるようで、暗黙のプレッシャーを感じているからかも知れません。
忙しくなってくるとその字のごとく、心を亡くすような状況になってしまい、余裕がなくなり、ゆったりと構えられなくなってしまいます。ちょっとしたことでイライラしたり、周りに当たったりするようになります。時にはその気持ちを持って行く場が無くなくて、そのとばっちりが周りに及ぶことにもなってしまいます。そういう状況では感情的になり、自分自身のコントロールが難しくなってしまうのです。
どのようにすればそのような状況から脱却できるのでしょうか。それは見ているものを変えることです。
私たちは起こってくる状況や問題を見る余り冷静さを失ってしまうのです。ずっとその状態が続いてしまうと、それらの心配事や大変さからなかなか抜けられなくなってしまいます。つまり置かれている状況に自分が飲み込まれてしまうのです。
一度私たちが意識していることや見ている事から自分自身を離してしまうことです。そうしてイエスをしっかりと見る事です。イエスは信仰の創始者であり、完成者です。イエスは始まりであり終わりです。ですから聖書は「イエスから目を離さないようにしなさい」と勧めているのです。このイエスの手の上に全てを乗せるように見る事です。
サタンの策略は私たちをイエスから離すことです。様々な手法を用いてイエスから引き離そうとします。心配事を持ち込んだり、仲違いをさせたり、問題を大きくみせたり、悲観させたり、孤立させたり、愛の欠乏を感じさせたりして、私たちの心に様々なものを投げ入れてくるのです。
しかしイエスは私たちのそばにおられ導いておられます。何をさておいてもこのイエスをしっかりと見上げましょう。イエスの言葉に耳を傾けましょう。祈りの座に座りましょう。じっと黙想してイエスのことを思いましょう。

 

今自分が誰に聞こうとしているのかをもう一度明確にしましょう。今の自分の行動を支配しているのは何か、神の平安かそれとも怒りか、失望か。イエスは神との交わりの喜びの故に、様々な辱めをものともせずに十字架にかかり通されました。このイエスのように歩むために、イエスから目を離さないようにいたしましょう。主は必ず勝利に導いてくださり平安が与えられます。先ず見上げるお方はイエスご自身です。

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