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NO.066  2009.11.22

「マナをいただく」

 

それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。(申命記8:3)

 

長年のエジプトでの奴隷生活から解放されたイスラエル人は、神が約束された地を目指して、荒野を旅することになります。ところが途中、食べ物が無くなり飢えに直面してしまいます。彼らはその窮状をモーセにぶつけて、つぶやきます。神はモーセの叫びに答えてマナという食べ物を天から降らせ養われたのです。
ところが、このマナに対して神は1日に必要な分だけを集めるように神様は指示されました。マナは毎日降りましたが、集めるのは1日にその人に必要な分だけ集める。無くなることを恐れて、余分に翌日にまでとっておくとそれは腐ってしまったというのです。このマナは彼らが
約束の地に入るまで、実に40年間もイスラエルの人たちを養ってくれたのでした。

このマナが彼らの食物となった理由を申命記は「人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる。」ことを学ばせるためであったと記しています。このマナは私たちにとっては神の御言葉、聖書そのものです。旧約のマナの記事から私たちが聖書を読む原則が解ります。
その第一は、心と霊の糧は神の言葉、聖書だということです。私たちの魂は神の言葉によらなければ養われないのです。この世にはまがい物がたくさんあります。一見私たちの心を満たすように見えて、結局人の思惑に利用されてしまうこともあるから気をつけなければなりません。
第二は毎日触れることの大切さです。人々はマナをその日の必要な分だけ集めました。毎日、新鮮なマナ、すなわち御言葉に触れ、それを食するような感覚でいただくのです。ちょうど食事を朝、昼、晚と3回とるように、聖書の言葉をいただくのです。やがて、その御言葉が、あなたの霊を強め、神の御心と計画を悟れるようになるのです。また導きが与えられるようになるのです。あなた自身を神の御心に従って成長させて下さるのです。

ちょうど来年の1月からディボーション(神の御言葉を通して神と交わること)ガイドとして、文字通り「マナ」という月刊誌を教会も使うことにいたします。兄弟姉妹、一緒にチャレンジしませんか。三年間で旧約聖書を1回、新約聖書を2回読むようにプランされています。また、毎日の聖書箇所を読みながら、神の御言葉を聞く習慣が出来るようになっています。私も思いを新たにして挑戦をいたしますので、兄弟姉妹、ご一緒しませんか?あなたの心に神の御言葉が蓄えられ、揺るがない人生の土台が築き上げられるようになります。

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