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NO.063  2009.11.01

「セカンドチャンスを生かせ」

 

それから、弟のところに来て、同じように言った。
ところが、弟は答えて『行きたくありません。』と言ったが、 あとから悪かったと思って出かけて行った。
(マタイの福音書21:30)

 

以前「失敗学のすすめ」(畑村洋太郎著)という本がベストセラーなったことがありました。内容はもちろん失敗をせよという本ではなく、失敗から学べという本です。失敗は決して恥でもなく、減点の対象でもない。失敗は貴重な財産である。この財産を如何に生かすかが肝心であるというような本です。
私たちも多くの点で失敗をします。失敗をしない人など一人もいないでしょう。しかし、それを次にどう生かすか、それが問われているのではないでしょうか。

イエスのたとえ話が聖書に出てきます。ある父親が息子達にぶどう園に行って働いてくれるように頼みます。兄の方は「はい、行きます。」と色よい返事をしたのですが、結局行きませんでした。弟の方は「行きたくありません」と答えたのですが、後で「悪かった」と思って、父の願いを聞いて出かけていったのでした。どちらが父の願い通りにしたかはもうおわかりでしょう。
私たちも弟のように、「行きたくない」「したくない」「従いたくない」そう思うときがあるでしょう。それ自体は私たちの感情であり、本音の思いす。しかし、もしその感情のままであったらそれ以上の成長も、進展もありません。しかし、弟は後で「悪かった」と思って、行動を改めて出かけていったのです。ここがポイントです。彼はセカンドチャンスを生かしたのです。
私たちがもし、このセカンドちゃんを生かせたら、どれだけ人生が豊かなものになることでしょう。聖書の中にはこのセカンドチャンスを生かして救われた人の話で満ちています。ペテロはイエスを知らないと言いましたが、後で悔い改めてイエスについて行きました。パウロもキリストの迫害者でしたが、キリストの光に打たれて、キリストに従う者となりました。放蕩息子も一事は父親に背きましたが、飢饉の中で本心に立ち帰って父親のもとに帰って行きました。失敗したことが問題だとしたら、彼らに救いはなかったでしょう。しかし、その失敗を認めて、神の元に返った時に救いが訪れました。
日々の生活にも私たちはいっぱい失敗をします。しかし、そこで失敗をどう受け止めるかです。もうダメだと思うか、いや今こそやり直そう、そう思い返して主の御許に立ち帰るかです。もう遅すぎるということはないのです。あきらめたり、もうダメだと自分で決めつけないことです。
神様は今日あなたにセカンドチャンスを与えておられると思ってください。今日、そのチャンスを生かしませんか。悔い改める。信仰を立て直す。イエスに従う。あなたの決断が、このチャンスを生かすことになることを覚えてください。

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