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NO.062  2009.10.25

「聖霊の働きに委ねる」

 

「あなたは、私の愛する子。私はあなたを喜ぶ。」そしてすぐ、御霊はイエスを荒野に追いやられた。
(マルコの福音書1:11-12)

 

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「何でこんなに自分に執着してしまうんでしょうね。」とある兄弟が言われた本音の言葉が印象的でした。「自分は本当に執着の固まりです。自分の思うように人を動かしたいし、家族にもそうなってほしい。おまけに神様に対しても、自分の思うように働いてほしいし答えてほしい。考えるのは自分の幸せばかりで、本当に自分中心で時々自分がいやになります。」
正直なこの兄弟の告白に「本当にそうですね。私もそうですよ。その葛藤は生涯続くと思います。」と思わず言ってしまいました。これは誰しもが持つ思いだと思いますし、そういう存在なのです。でも、それは決してマイナスではなく、この葛藤から信仰の道が開かれていくのだと思います。
時々、自分が自分に執着していることさえわからないものです。自分の価値観ですぐ人を裁いてしまい、周りに対する批判の目を向けてしまうのです。ついつい自分は正しい、悪いのは相手、と思い込んでしまうのです。だからこそ、自分の心を照らす鏡としての聖書が必要なのです。また、神様の導きを求める謙虚な信仰の姿勢と祈りが求められるのです。
イエスキリストご自身、荒野で悪魔の試みに遭いました。聖書は「御霊はイエスを荒野に追いやられた」と興味深い表現をしています。試みに遭わせるためにイエスを荒野に追いやられたのは、聖霊なる神様なのです。そこでイエスは聖霊の導きにより頼みながら、神のご使命にしっかりと立つ訓練を受けられたのでした。そうしてこの後、イエスの宣教活動が開始されていきます。
私たちも自分への執着から解き放たれるために、様々な試練を通されることがあります。その試練を通して始めて、自分の執着に気づかされるのです。人のせいにしている間は、自分に執着しているので苦しみが続きます。しかし、イエスの手の中に自らを投げ出し聖霊なる神様の導きに従う決意をし、一歩踏み出すと解放が始まるのです。
あなたは今、思い通りにならないと不満を感じていることはありませんか。もしそうなら、何か執着している事柄はないか心を探ってみましょう。お金に執着したり、地位に執着したり、自分の経験に執着したり、自分の生きてきた価値観に執着したり、考え出せば本当にいろいろあるものです。それに気づかされ始めたということは聖霊なる神様があなたに働いておられる証拠です。

信仰とは自分の持っているものを手放し、神様の導きに従って生きる生き方を学ぶ生涯のプロセスだといえます。神の御手に委ねて生きる事がどれほど楽で、生き甲斐ある生き方か体験するはずです。どうかあなたに働かれている聖霊の働きを大切にしてください。主の解放の時は近いのです。

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