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NO.060  2009.10.11

「もっと喜ぼう!!」

 

喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。
・・・ あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。 (マタイの福音書5:12-14)

 

一人の青年が教会を訪ねてきました。とても元気の良い,はきはきした青年でした。彼は韓国人で、韓国で信仰に導かれ、日本で働きながら伝道しているのだそうです。土曜日になると、トラクトを配ったり教会を訪ねて交わりを持っているのだそうです。住まいは教会の近くで引っ越ししてきて間がないとのこと。明るくて礼儀正しい好青年で、しばらく楽しい時を持ちました。日本の救いのために、休みの日なのに、一生懸命に伝道している姿に私も励まされました。教会の案内や印刷物などを渡してこれから共に祈って福音のために用いられましょう。と言って別れました。
 彼が別れ際に「今日の交わりは感謝でした。今までいろいろな教会を訪ねましたが、久しぶりに明るい気持ちになり、元気になりました」というので、「今まで言った教会はそんなに暗かったの?」と思わず聞いてしまいました。「初めての人間なので、教会の方も警戒をされたのかも知れません。でも、大体、皆さん元気がなく、明るくないんです。」「そうでしたか。」とその言葉に、何となくうなずいてしまいました。

確かに日本のクリスチャンは大体が真面目ですし、一生懸命です。それはそれで素晴らしいと思います。でも、喜ぶことが絶対的に不足しているように思います。何でも明るく笑えばいいと言うのではもちろんありませんが、しかし、イエス様を信じて救われているならば、もう少し嬉しそうな顔をしてもいいのではないでしょうか。
「心では嬉しく、喜んでいる」という人もいます。それはそれで感謝です。でも周りの人にその喜びが伝わるためには、その喜びを外に表すことが大切です。 夫婦であってもその愛を表現しなければ愛は伝わりません。『愛しているよ』と言葉をかけ、相手に対して言葉や態度でそれを表明してこそ、それは伝わるのです。同様に、信仰の喜びも理屈ではなく、生活の実体の中であらわされてこそ人に伝わるのです。周りの人はイエスを信じている人の生き方を見て、信仰の素晴らしさを肌で感じるのです。
もっと喜びを現しましょう。嬉しいときには嬉しいと言葉で言いましょう。イエス様は、「喜びなさい。喜び踊りなさい」と言われました。特に、迫害を受けているときにこそ、喜びなさい。と言われたのです。普通なら喜べないようなときにも、喜んでいるとするなら、それは驚きです。人々は何かがあると思うのです。
もっと単純に、良いことがあるなしにかかわらず、イエスを信じていることを喜びましょう。
私たちの教会も喜びがまだまだ少ないと思います。一緒に喜びの輪を広げましょう。感謝しましょう。笑いましょう。なぜなら私たちはイエス様によって救われているのですから。

この一点で私たちは喜び踊れるのです。

 

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