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NO.054  2009.08.30

「誰を友とするか」

 

思い違いをしてはいけません。友だちが悪ければ、良い習慣がそこなわれます。(Ⅰコリント15:33)

 

 

 連日、芸能人の覚せい剤使用事件が報道されています。その報道の中には興味本位のものや、心ない中傷まがいのものまであってうんざりするほどです。しかし、まさかと思われるような人にまでその汚染が進んでいる実態が明らかになってきているのは事実です。
 人とはなんと弱い存在であろうかと思います。誘惑には弱いのです。誘惑は誘惑だと名乗って私たちのところにはやってきません。身近な人を通してやってきたり、些細なきっかけから始まったりするのです。
誘惑は常套手段をとってやってきます。それはアダムとイブ以来変わってはいません。まず、誘惑する者は、その誘惑にひかれることは人生にとって何でもないと思わせます。一度試したぐらいでその影響はないと、その行為の代価を過少に申告してくるのです。そして、それに対して得られる満足や快感がどれほどいいものかと過大なメッセージを送るのです。更には、それが一番最先端のファッショナブルな生き方であると思わせるのです。そうして私たちを間違った生き方へと誘導していくのです。やがてそれは簡単にその人の中で常態化し、更には習慣化し、気づいた時には簡単に逃れられない奴隷の状態に陥ってしまっているのです。

誰とかかわり、交わりをもつかということは非常に大切なことなのです。聖書は私たちに誰を友として生きるかということを問いかけてきます。人は支えなくしては生きていけない存在です。私たちはどのような友を持っているでしょうか。その友が悪ければ、私たちをさまざまな悪習慣へと誘うかもしれません。真の友とは私たちを助け、サポートしてくれる存在です。
私たちにとっての最良の友、それはイエスキリストです。「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛は誰も持っていません」(ヨハネ福音書15:13)とイエスは言われました。イエスは私たちを友と呼ばれ、いのちを捨ててその愛を示してくださいました。これ以上の友はおられないのです。しかもそれは過去の出来事ではない、「世の終わりまでともにいる」(マタイ28:20)と言われて、今も私たちとともに歩んでいてくださるお方が、イエスキリストなのです。
このお方は、私たちのように自分の利害のために人を利用したり、あるいは同じ罪の中に人をいざなったりするようなお方ではありません。イエスは私たちが神の御心に従って、清い生き方ができるように助け導いてくださいます。また、聖霊なる神は私たちを誘惑から守り助けてくださいます。いつもとりなしをしてくださり、神にあって与えられている目的に向かって歩めるように導いてくださるのです。

ですから私たちが一番に聞くお方、それがイエスなのです。そうして次には誰かの友となって神の救いの恵みをお伝えする者とさせていtだきましょう。

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