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NO.052  2009.08.16

「キリストが内に生きておられる」

 

私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。
(ガラテヤ人への手紙2:20)

 

 

 先週13,14日と兵庫県のたつの市で日本福音宣教会の全国聖会が行われました。今回で16回を数える聖会でしたが、約300名近くの兄弟姉妹達が全国から集いました。「揖保の糸」のお素麺で有名な播磨新宮(はりましんぐう)の国民宿舎を会場にしての開催でしたので、お素麺も沢山食べ、世界遺産の姫路城を見学もできました。また兄弟姉妹達と、共に御言葉を分かち合い、祈り、大いに恵みをいただくことが出来きたのは本当に感謝でした。来年はより多くの兄弟姉妹が参加されますことをこころより願っています。

  さて、今回は「キリストが私の内に生きておられる」というテーマでしたが、私たち一人一人はこの信仰の告白を確信をもってすることが出来るでしょうか。
もし、一人一人がイエスキリストを救い主と信じておられるなら、すでにイエスは私たちの内に生きておられるのです。それは感情や単なる私たちの感覚ではなく、聖書の約束であり、それを信じて告白する人にその信仰の実体は事実としてあるのです。もちろん、様々な状況の中で感情は浮き沈みいたします。長い人生の間には、喜びが薄れたり、力強さに欠けたり、信仰の動機付けが弱くなったりするものです。 しかし、それらは全て私たちの感覚の問題であって、イエスの実体が消えてしまったのでは全くないのです。
 先ずキリストご自身、私たちをこよなく愛しておられると言う事実を忘れてはなりません。キリストは天の御座を去り、私たちの同じ人間の姿を取り、私たちの罪の身代わりとなって十字架に架かって死ぬことでご自身の愛を具体的にしめされたのです。命懸けで、本気で、愛を貫いてくださったお方がイエスキリストです。更にイエスは死から復活され、信じる者の中に今も住んでいてくださり、生きておられるお方なのです。
 しかし、それでもなお、古い自分が生きていることに葛藤しているならば、それはキリストの救いが私たちの全領域に拡大していく過程にあると理解することです。「すでに」私たちは救われています。しかし「未だ」キリストに支配されていない領域があるのも事実です。そこが私たちの成長の伸びしろの部分でもあるのす。まだ、明け渡していないところをキリストに明け渡し、古い部分を十字架につけるとき、復活の命が注がれてくるのです。

 ちょうど、それは戦争に負けた国が、完全に明け渡すのに時間がかかるのに似ています。戦争に負けたという降伏宣言が出されます。すでに敗北したという事実があります。しかし、それが国の全ての領土に及ぶには時間を要します。まだ各地では散発的に闘いが続いているかも知れません。占領軍が到着し、全てが支配下に置かれ、古い体制が一掃され、新しい政府が誕生し、秩序が回復していく。人々の生活、経済、インフラ、様々な部分が整備されていくことで新しい国が誕生していく。同様にキリストに支配され、新しい神の国の民として生きていく為には時間と明け渡しの労苦が必要なのです。しかしそれは新しい人として生きる素晴らしい恵みの歩みであることを覚えたいのです。その中心に「キリストが私たちの内に生きておられる」のです。この確信に満たされて前進してまいりましょう。

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