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NO.048  2009.07.19

「鈍感力を培う」

 

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、
神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
(ローマ人への手紙8:28)

 

 以前「鈍感力」(渡辺淳一著;集英社)という本がベストセラーになったことがありました。この本の中で渡辺氏は鈍感力をプラスに捉えて、鈍感力は生きていく上で大きな力になると語っています。
鈍感力のある人は会社でいやなことがあってもすぐに忘れて翌日には明るく出社できる。また、何でも好き嫌い無く食べる人はくよくよせず元気である。母親の子どもに対する愛情はまさに鈍感力そのもので、子どものウンチもいやがらずきれいに出来るし、どんなに子どもが悪いことをしても母親なら許して愛することが出来る。鈍感力は生きる上での知恵であり、粘り強くたくましく生きる力であると言っています。
 彼の言わんとすることを信仰に応用して考えるとどうなるでしょうか。「神を信じて生きるとは究極の鈍感力を培うことになる」ということになると思います。神を信頼して生きる人は、冒頭の御言葉のように、神は全てのことを働かせて益として下さると信じれるようになります。また様々な問題は私たちを神に近づかせ、神との関係を深める契機となると信じるようになるのです。
 先日ある姉妹との交わりの中で励まされました。その方は大きな試練を通ってこられた方でした。ご主人を亡くし、女手一つで子どもさんを育てておられます。亡くなったご主人のお舅さんやお姑さんの面倒も見ておられます。普通なら愚痴の一つでもこぼして当たり前です。しかし、彼女は「イエス様の恵みがいっぱい注がれていて毎日が本当に感謝です。」そう笑って明るく話しておられました。問題も笑い飛ばせる信仰の度量がこの人にはある。そう思わさせました。
 私たちは問題に対して一喜一憂し、過大に反応する傾向があります。必要以上に問題を恐れ、起こってもいないことまで心配してしまい、嘆いてしまう。すぐに問題に敏感に反応してしまうのです。
 鈍感となるべき問題に対しては敏感になり、敏感であるべき霊的な成長に対しては鈍感である。というような逆転がおこっているのが私たちの実態かも知れません。

 そのような状態にならないためにも、神の御言葉をしっかりと蓄え、神の約束を信じるものとなりましょう。どんな状態の中でも、神が私たちと共におられると信じましょう。どっしりと腰を据えて、周りの状況に敏感に反応しすぎないことです。起ってくる問題もいつかは解決するのです。今は苦しいかも知れませんが、やがて雨の後には晴れ間が広がるように、そして空気の汚れが洗い流されるように、私たちの人生にも主の豊かな喜びの祝福が広がっていくのです。苦しければ苦しいほどその後の喜びもまたひとしおではないでしょうか。神は必ずそのように導いてくださいます。神を信頼いたしましょう。信仰的鈍感力を培えばサタンはあなたから手を引きます。そうです。勝利は主から来るのです。

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