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NO.037  2009.05.03

 「心静めて神を見上げよう」

 

私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。 (詩篇16:8)

 

 ゴールデンウィークの只中です。この連休中どのようなプランをお持ちでしょうか。教会では今日から3日間軽井沢でのバイブルフェロシップを開催します。参加できる方も出来ない方もおられますが、何処にあっても主が守り支えてくださいますようにお祈りしています。
 ちょうどこの時に、メキシコを発信源として豚インフルエンザが発症し、帰国する人たちを通して人から人への感染が始まってしまいました。世界規模で広がるのではないかというフェイズ5の段階にまで来ています。新型インフルエンザですから、みんながまだ免疫を備えていないという点や、毒性の強さ、その感染力などわからないことばかりですから、慎重な対応が求められています。
海外に行かれる方も多いようですから、連休明けが一つの山になるのではないかと言われています。
しかし、情報が伝わるのは早いのですが、不安と恐怖をあおりすぎる報道も問題です。最善の防御を取りつつも、落ち着いた姿勢を持ちたいものです。何とも気の落ち着かない連休となってしまいました。
 しかしこのようなときにこそ私たちは見上げるべきお方をしっかりと見上げ、神様との交わりを堅固なものにしたいと心から願います。
 詩篇の作者であるダビデはその賛美のなかで、自分の信仰をはっきりと告白しています。「私はいつも、私の前に主を置いた。」という表現は彼がどれほど神様に近くにいるかを教えてくれる表現ではないでしょうか。ダビデと神様との間にはなんにも余分なものが存在しない。直接的に神様を見上げている。そのような深い交わりが感じられる言葉です。
 私たちはちょっとした問題が来るとすぐに慌てます。戸惑います。時にはパニックになってしまいます。目の前には大きな問題がドスンと置かれたような感覚になってしまい、イエス様が何処におられるのかさえわからない状態に陥ってしまいます。
ちょうど嵐にあった弟子達と同じで、「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」(マルコ4:38)と同じ嵐に遭っているイエス様に対して文句を言い、自分たちの気持ちをぶつけてしまうのです。それは問題のほうに意識が集中するあまり、イエス様が何処におられるかわからなくなってしまうのです。
忙しければ忙しいほど、問題が大きければ大きいほど、困難を極めれば極めるほど、私たちは主を私たちの目の前に置くものとなりましょう。主の御そば近くあゆみ、主が共におられる事を確信できるまで、じっくりと主を見上げるものとなりましょう。あなたの人生を確固たるものとするのはイエスキリストとの交わり以外にないのです。 連休を通して、心静める時間を取り、主と交わるものとさせていただきましょう。

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