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NO.035  2009.04.19

「ワールドクラス・クリスチャン」

 

 あなたには選択肢が与えられています。ワールドクラス(世界で通用する)・クリスチャンになるか、世的な(世の中に埋もれる)クリスチャンになるかです。
 世的なクリスチャンは、主として個人的満足を得るために神を見上げます。彼らは救われてはいるものの、自己中心的です。コンサートや人生を豊かにするセミナーなどには喜んでいきますが、宣教のための集まりで彼らを見かけることは決してありません。そのような集まりには興味がわかないのです。彼らの祈りは、自分の必要、自分の祝福、自分の幸せなど、自分のことに集中しています。私の人生をもっと快適なものにしていくださいという、「先ず私を」の信仰です。かれらは、神の目的のために用いていただくことよりも、自分の目的のために神を利用しようとしているのです。
 一方、ワールクラス・クリスチャンは、自分が人に仕えるために救われ、使命を果たしていくために造られたことを知っています。彼らは、任務が与えられることを心待ちにし、神に用いていただける特権に心躍らせているのです。ワールドクラス・クリスチャンこそ、この地上において本当に生かされている人たちです。彼らの喜び、確信、そして情熱には影響力があります。それは、彼らが自ら違いをもたらしていることを知っているからです。かれらは毎朝、神が自分を通して全く新しい方法で、働いていてくださることを期待しながら目を覚まします。あなたはどちらのクリスチャンでありたいと思いますか。
(人生を導く5つの目的 PP.390-39リ リックウォレン著 より)

 

 これは「人生を導く5つの目的」に出てくる箇所ですが、ファミリーグループの分かち合いで自分の信仰のあり方をもう一度問い直された時となりました。
たしかに、いつの間にか信仰が自分中心の信仰に陥ってはいないか、自分の願望を達成するために神を利用してはいないかと問うてみなければなりません。もし世的なクリスチャンに陥っているとするなら、救われてはいますが他の新興宗教と求めている内容がそれほど大差のないものになってしまいます。 
私たちが救われたのには神様のちゃんとした目的とご計画があることを忘れてないようにいたしましょう。ワールドクラス・クリスチャンとは大げさではなく、神の目的のために自ら生かされていることを知ってその使命に生きようとしている人たちのことです。
日本プロテスタント宣教150周年を迎える年ですが、開国と同時に日本に入ってきた宣教師達はこの神の使命を実行すべく心燃やして宣教をしていきました。明治維新の当初はまだ、キリスト教禁令が出ていましたので、おおっぴらには宣教をすることは許されませんでした。がしかし、彼らは文字通り命をかけて福音を伝えていきました。教会設立だけでなく、日本の近代化のために、政治や教育、医療、などといった多岐の分野にわたって貢献し宣教を幅広く展開していったのです。
そのバトンは今日、私たちに手渡されていることを覚えたいと思います。私たちの家族や友人は言うに及ばず、私たちのコミュニティーや国、更には海外へと宣教師を派遣していくようになりたいと思います。
今、現代社会は混迷しています。神の愛の福音に人々は飢え渇いているのです。かつてキリスト信仰が日本の黎明期に大きなインパクトを与えたように、今また神の福音宣教を通して現代社会に影響を及ぼしていく者になりたいと思います。あなたもワールドクラス・クリスチャンになれるのです。

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