閉じる

NO.034  2009.04.12

「復活の主は今ここに」

 

「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中にさがすのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい。」 (ルカの福音書24:5-6)

 

 イースターおめでとうございます。私たちの主イエスキリストの復活を兄弟姉妹と共有できることは何という喜びでしょうか。十字架と復活。これが私たちの信仰の土台であり拠り所です。
 イエスの十字架の贖いによって私たちは罪赦され救われました。同時にイエスは復活によって罪の力に打ち勝たれ、勝利の主として今も生きてられるのです。この復活の主にいつも日々交わることが生き生きとした信仰生活の原動力なのです。
 イエスがよみがえられた朝イエスに仕えていた女達は早朝イエスの墓に向かいました。それは用意しておいた香料と香油をイエスの身体に塗るためでした。まだイエスの身体は墓の中に横たわっていると思っていたからです。ところが、封印しているはずの墓石は取り除かれ、葬られているはずのイエスの身体が見あたらないではありませんか。途方に暮れていると御使いが現れて、イエスは蘇られたことを告げたのでした。
 「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中にさがすのですか。」という御使いの言葉は女達だけでなく、私たちがしばしば陥る信仰の状態を言い当てているのではないでしょうか。イエスは復活されているにもかかわらず、まだ死んでいると思ってイエスのからだを探すのです。しかし、死んだ身体にはいのちはありません。身体という物体はありますが、生きてコミュニケーションがとれる人の人格の実体はそこにはないのです。
もし、私たちがキリスト教という宗教の枠の中にいることに満足し、キリスト教的な礼拝行為や祈りを形だけ整えているとするならば、それは「生きている方を死人の中に探している」ような状態とは言えないでしょうか。しかし、意外と自分の信仰を省みる時、形骸化した自己満足的な信仰に陥りやすいことを見いだすのです。

閉じる