閉じる

NO.033  2009.04.05

「関係の中で生きる」

 

『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 これがたいせつな第一の戒めです。
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
(マタイの福音書22:37-39)

 

 先週31日から2日まで富士箱根ランドにて、日本セル宣教ネットワークサミットが開催され、全国から160名の方々が集いました。牧師や教会スタッフだけでなく、ファミリーグループのリーダーやユースのリーダー。またファミリーグループの働きをこれから取り入れたいと願っている教会や信徒の方々が集い素晴しい交わりと分かち合いの集いとなりました。
 この集いの特徴は、講師がいないということです。大物牧師や小物牧師といった区別もなし。先輩、後輩もなく、偉大なリーダーもいません。ただ主の恵みと憐れみを互いに分かち合い、また主から与えられた重荷を分かち合う。そんな集いでした。
 そんな中で、改めて感じさせられ、また大切な基本的なこととして再確認したことは、教会である私たち一人一人(教会は建物ではなく、救われた人の共同体)は関係に生きる共同体であると言うことです。
 聖書は実にこのテーマで貫かれているといっても過言ではありません。神との愛に満ちた関係が人の存在の始まりでした。しかし、罪が進入し、神との関係が切れてしまいます。  その関係の分断は人と人との関係の崩壊へと向かいます。家庭が壊れ、社会に溝が生まれ、  世界に混乱と罪が蔓延していくようになったのです。
 しかし、キリストはその只中に来てくださり、自らの命を十字架に捧げることにより、神と人との関係、人と人の関係が回復する道を開いてくださいました。このことを改めて心に刻みたいと思います。教会はこの二方向の関係で成り立っていることを覚えたいと思います。
 神との関係が大切です。しかし、その関係はそれだけで終わるものではなく、互いの人との関係の絆へと広がっていくのです。十字架は単なる一本の棒ではありません。クロスなのです。
 私たちの信仰生活における神様と互いの関係はどのようになっているでしょうか。マイナスの関係はどちらかの関係が希薄になっていると言うことになります。プラスの関係を生活の中に探ってみましょう。またそれは互いに独立したものではなく、相互に深く関わっているのです。お互いの兄弟姉妹との交わりの中に、キリストの愛を体験することが出来るのです。また、神との深い垂直的交わりが互いに愛し仕え合う関係への強力な力となるのです。それを体験し、育んでいくのがキリストの身体であり、共同体の姿なのではないでしょうか。どちらが欠落してもキリストの教会とはなりえないのです。

 今日は棕櫚の日曜日です。十字架に架かられたイエスの最後の一週間となります。イエスの十字架を心に刻みたいと思います。イエスが私たちに仕えきってくださったように、私たちも神に仕え、人に仕える者とさせていただきましょう。
閉じる