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NO.029  2009.03.08

「自らを省みる」

 さて、イエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。
そして、40日40夜断食をした後で、空腹を覚えられた。(マタイ4:1-2)
パン 

 

 イエスは宣教を開始される前、御霊に導かれて荒野に上り悪魔の試みを受けられました。40日40夜断食をされた後、「あなたが神の子なら、この石がパンになるように,命じなさい。」とサタンが近づいてきてイエスを誘惑します。
 何とサタンの誘惑とはタイミング良く(悪くと言った方がよいでしょうが)来るものでしょうか。ちょうど空腹を覚えた時、とあります。その時を待ち受けたかのように誘惑する声が聞こえてくるのです。イエスは「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による。』と書いてある。」と御言葉を持って撃退されます。
私たちはイエス以上に様々な誘惑に合います。それはアダムとイブ以来、巧妙に私たちの感情や五感を刺激し、近づいてくるのです。
 今、政界では不正献金の授受の問題を巡って民主党を初め自民党も揺れています。秘書が逮捕され民主党の代表も事情聴取を受ける事になる可能性があります。政治家の周りには甘い蜜を求めて集まる人たちがいることを今回の事件は示唆しています。政治家には、まさにそのような誘惑の中でそれに陥らない生き方をすることが求められているのでしょう。
しかし、如何せん、政治家だけでなく私たちも、そのような誘惑に対しては無力です。イエスは御霊の助けをいただきながら、御言葉によって勝利していかれました。特に、十字架を前にして、イエスは御霊の助けをいただき十字架に向かって歩まれ、私たちの罪のために十字架を負いきってくださいました。その十字架があるからこそイエスの復活があったのです。私たちはこのイエスに従って自らの無力さを認めつつ、聖霊の助けを求めるものとさせていただきましょう。
 今はレントの期間です。レント(Lent, 「四旬節」または「受難節」)とは、イエス様の復活日前の40日を指します。この40という数字は、主の荒野の試練に因むと言われます。私たち一人一人は、この期間を悔い改めと清い生活をするようにと導かれる時としたいものです。
 お互いに主の前に静まり祈る時を多く持ちましょう。祈りの中で、自らを省みてみましょう。神の取り扱いが自分にとって必要であることを認めることのできる人は幸いです。心の深みにまでイエスの歩まれた歩みを刻み込もうではありませんか。
イエスの命が私たちのために流されたのです。この大いなる犠牲の愛と恵みを無駄にしたくはありません。神は悔いた砕かれた心を決して軽んじられないのです。

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