閉じる

NO.025  2009.02.08

「生きる土台」

 

そのようにして神はお造りになった全てのものをご覧になった。見よ。それは非常に良かった。 (創世記1:31)

 

C:\Documents and Settings\pastor\Local Settings\Temporary Internet Files\Content.IE5\G56NKTQ7\MCj01983590000[1].wmf 私たちが生きていく上で大切な土台。それは自分という存在の値打ちをしっかりと握っておくことです。天地創造の記事は私たちにそのことを明確に教えてくれています。神は造られた全てのものをご覧になった。とあります。ここで 「造られた」 という言葉の主語は神であって、本来神にのみ使われる言葉です。創造の主体者は神であると言うことを明確に聖書は記しています。

また、 「神が造られた」 ということは、私たちは突然変異でできたのでも、動物から進化したのでもなく、明確に神が意味と意図を持って造られたのです。そうして更に、造られたまま放っておかれるのではなく、それを養い、育まれ、管理し、成長するように手をかけ見守ってくださるお方なのです。

 「見よ。それは非常に良かった。」 と神は造られた全てのものの存在を喜んでおられるのです。造られたもので、いらないものや不必要なものは何一つないのです。だからそれをいつも「見よ。」という言葉が示すように見て心に留めておかなければなりません。

 言うまでもなくその中にはあなたや私も入っています。あなたや私という存在は神様から見れば「非常によい」素晴らしい存在です。この存在の値打ちを土台とすることが揺るがない生き方をするためには必要不可欠です。

何故こんな事を強調するかというと、私たちを取り巻く社会ではあまりにも条件付きの値打ちばかりが求められるからです。その中で沢山の人たちがストレスを覚え、自分自身を見失い、自分の値打ちに気づかず、生きる自信もなく、苦闘しながら生きています。

 先日もある女性の方が「会社で認められていることはうれしい反面、自分の本当の姿がいつかわかりはしないかと毎日が苦しいのです。本当の自分をみんなが知ってしまったら、自分は無視され、除外されてしまうのではないか、そんな恐れがあって、自分が安心できないのです。」と言われていました。この社会では、「頑張ること」「勉強すること」「能力を発揮すること」が求められます。その基準に合えば認められますが、そうでないと、なかなか受け入れてもらえない社会でもあります。

もちろん努力することは大切なことですし、手を抜かないで生きる事も必要です。しかしそれらは、神の作品として愛され生かされているという、喜びの土台の上に築き上げられてこそ真の力を発揮することができるのです。そうすると落ち込んでも落ち込みすぎず、うまくいっても天狗にならず、神の恵みとして毎日を感謝する生き方を身につけることができるのです。

 神によって造られていると言うこの事実を自らの土台といたしましょう。人と比較することではないのです。あなたならではの人生が、「オンリーワン」の人生が与えられていることを心から喜ぼうではありませんか。自分の中にある神が与えられた良きものに目を留めましょう。ないものではなく、あるものに目を留めそれを生かす者とさせていただきましょう。

閉じる