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NO.024  2009.02.01

「見つめ合う関係」

 

しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。主は御霊です。
そして、主の御霊のあるところには自由があります。(Ⅱコリント3:16-17)

 

 最近ではペットを飼う人が多いようです。私たちの教会でも犬や猫を飼っている人がおられます。先日は言うのを買っている兄弟姉妹で、ビデオ上映会があり盛況でした。

 我が家にもミューという猫がいます。以前から子どもたちが猫を飼いたいと言っていたのですが、元来私があまり猫好きではなく、手間がかかるのではないかという思いもあって飼うことには消極的でした。ところが、教会の周りの古い家が壊される他のを契機にして、ネズミが出没し始めました。

 C:\Documents and Settings\pastor\Local Settings\Temporary Internet Files\Content.IE5\AFAHG3YV\MCj04247280000[1].wmfこれでは困ると言うことで猫を飼うことを承諾いたしました。飼い始めると効果はてきめんで、ネズミは全く出なくなりました。同時に子どもたちや家内はもちろんのこと、私も猫に愛着を感じるようになり、今ではミューは家族の一員としての存在感を発しています。

 先日、麻布大と自治医大の研究グループが研究した内容が新聞記事に載っていました。それは愛犬に見つめられると,相手への信頼感や絆を強める働きのあるホルモン「オキシトシン」が飼い主の体内で増加するというものでした。研究グループは55組の飼い犬と飼い主で実験。室内で一組ずつ30分間触れ合い、飼い主の尿に含まれているオキシトシンの濃度を測定しました。すると、事前アンケートで犬との関係が「良好」と判断された飼い主13人では実験後に濃度が大きく上昇したのだそうです。 一方「普通」と書いた42人では変化がなかったという結果が出たそうです。

 ペットと見つめ合う時を持ち、関わりを持つことで、更にその絆と信頼感が増していくということでしょう。人間関係でストレスを感じてしまう現代社会においては、特にペットという存在は癒しであり、信頼関係を作れる存在なのだと思います。

 神様と私たちの関係も「見つめ合う」関係です。神様は私たちを絶えず見ていてくださいます。ちょうど親が子どもを見るように、父なる神様は私たちを導き助けてようとして絶えず御手を延べていてくださいます。信仰とはこの神のまなざしを感じて、そのまなざしに応答し神を見ることに他なりません。信仰が成長するとはこの神様と私たちの見つめ合う距離が近くなり、まさに顔と顔を合わせて見ているかのように間近に主を意識するようになることなのです。

 あなたは神のまなざしを感じておられますか?また神を見上げておられますか?主を見るとは聖書が言うように私たちの心を主に向けることです。あたかも主を間近に見ているかのごとく、主の臨在を近くに覚えるように聖霊に助けていただきましょう。あなたの心に神への信頼と絆の確かさが益々培われていくようになるのです。

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