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NO.020  2009.01.04

 「信仰なくば立たず」

 

信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、
神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
(ヘブル人への手紙11章6節)

 

C:\Documents and Settings\pastor\Local Settings\Temporary Internet Files\Content.IE5\IYBHPR9J\MPj04094170000[1].jpg 新年、明けましておめでとうございます。

 2009 年が幕を開けました。年始早々から政治の世界や経済界では様々な動きが出てきそうです。まさに変革の一年、激動の一年の幕開けです。

 

 「信なくば立たず」という言葉があります。孔子が 政治の要諦を弟子に語ったときのことばです。まず兵馬を整えよ。そして食を備えよ。そして政治の信を確立せよと。しかし、それらの中で軍備よりも食糧よりも政治と国民との「信」が最も大切であるというのです。国民から信頼される政治、うそ偽りのない政治が大切であると。これは、今の政治家がしっかりと肝に銘じる言葉でしょう。しかし、それは政治家だけでなく、私達一人一人にも当てはまるのではないでしょうか。

 特に、信仰者は孔子の言葉を待つまでもなく、聖書がまさにそのことを言っていることを覚えたいと思います。日本の政治家のためにも祈らなければなりませんが、その人の行い、言動が変るためには心が変らなければなりません。自分が基準でしかない人間は 「信がないので立たない」 のです。そこに人の限界があります。しかし、その限界から私達は神を畏れ敬う信仰の道へと導かれる必要性があるのです。聖書は 「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」 とはっきりと語っています。人は 「信仰なくば立たず」 なのです。

 

 神への信仰は、第一に畏れるお方をもつと言うことです。人の力で何でもできてしまうという考え方は一方で危険です。人間の知恵の愚かさは昨今の経済危機を通して自由主義経済が万能ではないことをはっきりと露呈させました。人は畏れるものを持つときに、謙虚になれるのです。人間の傲慢さがこの世の罪を更に助長させ、荒廃をもたらせていることを覚えなければなりません。神を畏れて生きる。これが私達が持つべき信仰の第一の本質です。

 第二に神に近づく者となると言うことです。その内実は、神の絶対的存在を認めるということ。すなわち神を中心にして人生を構築することです。信仰は付け足しではないのです。私達の生きる本質であ中心軸であり、背骨です。神中心の人生を確立いたしましょう。そうして歩み始めるとき、神は神を求めてくる者には、必ず報いてくださるのです。そのことを徹頭徹尾信じ抜きましょう。

 もちろん、それは今すぐではないかも知れません。でも必ず神は報いてくださるのです。神は私達の人生をトータルで考えていてくださいます。神のタイミング、時があるのです。そのときを待ち望みつつ、信仰の道を中心にして歩み続けましょう。誠実に生きましょう。あなたの家庭で、職場で、人間関係の中で、あなたの誠実さと、信仰の熱心さが、周りの人たちの信頼を勝ち得るようになるのです。

 「信仰によって立つ」 者とさせていただきましょう。神があなたを支えられます。

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