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NO.017  2008.12.14

 「インマヌエルの神」

 

「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」
(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。」(マタイの福音書1:23)

 

 人が耐えられないことのひとつに孤独があります。他のどんなことには耐えられても、ひとりぼっちであることには人は耐えられないのです。

 先日ある方のお知りあいの方が自ら命を絶たれたそうです。体格は立派で、悩みとは縁遠いように見えた方だったそうです。40代の方で今一番力を発揮されると思われているときでした。少し元気がないように見えはしましたが、まさか自死をされるとは思いもよらなかったそうです。突然のことで、ご家族も呆然としておられます。会社の同僚や上司の方も、その苦しいサインを何で読み取れなかったのかと自責の念を抱えておられるようです。計り知れない悲しみとやりきれなさが家族や周りの人には残されています。もちろん、何よりもご本人が誰にもその心の内を打ち明けれず、一人で重荷を抱えてしまった苦しみがあったのです。

 このような出来事は特異なことではありません。私たちの周りにいつでも起こりうることなのです。どんなに自分は大丈夫。自分はそんなに弱くはない。と強がってみても人は弱い存在なのです。しかしその弱さを覚えたときに、自分は弱いんだと本音が言えないとしたら、葛藤を内に抱え込んでしまうことになるのです。苦しいとき、辛いときに、周りに辛いと言える人がいる人は幸いです。自分の心の内を知っていただける人が家族なり、友なりいればその人は危機的な状況に陥らなくてもすみます。

 神様が万物を創造されたとき、被造物全ては素晴らしいものでした。それらは全て「よし」とされるものでした。ところが一カ所だけ「よし」と言われていない箇所が出てきます。それは「人が一人でいるのは良くない」と言うことでした。人は神に似せられた最高の作品として造られましたが、一人で居るのは良くないことだと神は言われたのです。それで神は女を造られたのでした。

 人は交わりを求める存在なのです。なぜならそれは神の本質に似せて造られているからです。父なる神、子なる神、聖霊なる神、この三位が一体として常に愛と信頼の深い交わりを保っておられるが故に、人も一人では存在し得ない者として造られているのです。

 このクリスマスにイエスは、神から離れ、罪にまみれ、孤独の中に閉じ込められている私たちを解放するために生まれて下さったのです。その名は 「インマヌエル」 とよばれる。訳すと 「神は共におられる」 という意味です。まさにキリストはご自分の交わりに入れるために、そして私達が孤独に陥らないために、共におられる神、インマヌエルの神、となって下さったのです。このお方には何でも話すことができます。裁かれることはありません。このお方に癒しがあります。いつも共におられる主と歩み、この世界で寂しく孤立して生きている人々にこの喜びの訪れを知らせる者とならせていただきましょう。

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