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NO.013  2008.11.16

 「虚像を捨てよう」

 

しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。・・・ 立って、父のところに行って、こう言おう。
「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。(ルカの福音書15:18)

 

 次々とヒット曲を出し一世を風靡した大物アーティストが詐欺罪で逮捕されました。彼の常識を越えた豪勢な生活ぶりや華やかな生活をマスコミも大きく取り上げ、現在の凋落ぶりも報道しています。様々な事業に手を出して失敗したことや浪費が多額の借金を抱えることの直接の原因であったようです。

 恐らくこのような事態になるまでには、何度となく彼なりにやり直そうと思ったに違いありません。しかし、一度築き上げた生活スタイルを変えることは難しかったようです。ちょうど蟻地獄に陥ったように、ずぶずぶと足下から砂の中に引きずり込まれ、もがけばもがくほど状況は益々悪化することになったのでしょう。自分の力ではどうにもならない事態にまで発展してしまったに

違いありません。

 彼には、今回の事を通してしっかりと罪を償い、蒔いたものを刈り取り、もう一度原点に返って再起をしてもらいたいと願うばかりです。またこのことを通して真の悔い改めに導かれキリストの救い預かってほしいと強く祈るものです。

 

 しかし、考えてみればこのことは彼だけの問題ではありません。

私たち自身の中にも潜む問題です。人は本当に弱く罪深いものです。弱さを認めることができればどれほど楽かと思うのですが、長年身につけてしまった虚像の仮面は剥がすのは厄介です。私たちは人によく見てもらいたいと思うあまり、いい格好をしてしまいます。人に対してだけでなく、神様に対しても自分の信仰深さを演じてしまうことはないでしょうか。

 所詮虚像は虚像です。いつかは崩れるし、それを身にまとい続けることはできないのです。また、人に見せている姿を維持しようとすれば、見栄を張り続けなければなりません。自分でないものを演じ続けるあまりいつも緊張し、ストレスを抱えることになるのです。

 ルカの福音書15章に出てくる放蕩息子は、放蕩三昧をしたあげく父から分けてもらった身代を全て使い果たし、豚の餌さえも食べさせてもらえない人生最低の状況に陥ります。しかしこの時、彼は「我に返った」のでした。初めて素直になれたのです。虚像を脱ぎ捨てる時になったのです。彼は素直な心になって自分の非を認め告白する事ができたのでした。

 私たちもこの虚像の脱却から始まらなければなりません。正味のあなたが神に向き合わなければ神の取り扱いを受けることはできません。表面的な信仰から脱却し、あなた自身を変えていただくためにも、虚像を脱ぎ捨てましょう。

 心の棚卸しをしながら、正直な自分に立ち返るものとなりましょう。自分のありのままの姿で主に向き始めるときに神様はあなたを取り扱い始めてくださいます。素のままのあなたが素晴らしいのです。そこから真の成長が始まるのです。

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