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NO.011  2008.11.07

 「測り知れない神の英知」

 

人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。
(Ⅰコリント8:2)

 

 昨日は教会の音響機器の設置と使用方法の講習会がありました。楽器やスピーカーの配置、マイクの特性や用い方、ミキサーの使用方法、各音源のバランスの取り方など、2時間にわたって教えていただき本当に感謝でした。実際に教えていただいて何と知らないことばかりかと改めて認識いたしました。また同時に、その特性と音響機器の使い方をマスターすればどれほどその力を効果的に発揮させることができるかということもわかりました。ただ音が出ればいいというわけではないのですが、今まである程度知っていると思っていましたが、備えている機能を十分に使い切っていなかったのです。

 

 しかし、このことは私たちの信仰生活にも全く当てはまります。キリストを信じ、信仰に導かれ教会生活を送っていますが、何年か経つとある程度教会でやっていることはわかってきて全部知っていると錯覚してしまうのです。礼拝や祈り、聖書を読むことや奉仕、教会の年間行事など、大体のスケジュールもわかります。しかし、問題はその信仰生活の中でどれだけ神様の偉大さやその測りがたい英知に触れているかということです。

 表面上の教会生活は知っていても、その内実である神とのダイナミックな交わりや神のみ業を体験しているでしょうか。神の目的のために生きているという実感があるでしょうか。神への喜びや賛美が日々私たちを支えているでしょうか。

 ちょうど素晴らしい機能が備わっているミキサーにもかかわらず、その一部しか利用していないで宝の持ち腐れ状態にしてしまっているように、私たちも神の信仰の偉大な力の一部しか体験しないで全部知っていると思い込んでいる、そんな状態になってはいないでしょうか。

 

 私たちは 「 何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならない ほどのことも 知ってはいないのです。」 という聖書の言葉のように、まだまだ神様の偉大さのさわりしか知っていない事を自覚いたしましょう。それがだめなのではなく、それだけ私たちは神を知るチャンスと可能性の中に生かされていると言うことです。ですから、なおいっそう神を求めるものとなろうではありませんか。知れば知るほど新しい世界が開けてくるようで、感動と新鮮な気持ちが私たちの心を支配するようになります。

 今日も神の命に触れましょう。あなたこそが礼拝の主体者です。神はあなたに出会ってくださいます。純粋な素直な心で主を見上げましょう。聖霊はあなたの心に豊かに望んでくださいます。

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