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NO.010  2008.11.02

 「ピンチはチャンス」

 

さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。(ピリピ人への手紙1:12)

 

 今世界同時株安で大きな金融危機に直面しています。1929年の世界恐慌以来の危機と騒ぐ人たちもいるほどです。アメリカから端を発した株安でしたが、アメリカのトップ5に入る投資銀行の内二つが破綻したことを受けて、一挙に不安が広がり株安が進みました。老後のためにと蓄えていたお金や長年勤めてもらった退職金を株の投資に当てたために資産が目減りした人など、先行きの不安を抱えている人たちも多いのです。今回の金融危機は世界中の経済が互いに結びついている現実と、経済の主体があまりに金融主導に傾いている実情をあぶり出した形になりました。実質の生活とはかけ離れたところでマネーゲームが展開し、そのしわ寄せが私たちの生活を直撃しているのです。

 

 しかし、すべてが悲観する状況かというと必ずしもそうではありません。この機会を新たなビジネスチャンスと捉える人もいれば、会社の経営を見直し、新たなチャレンジととらえる会社もあるのです。また、消費型生活から貯蓄型生活や身の丈生活へとシフトをしていく時となるのです。

 

 変革には痛みが伴います。現状がうまくいっているときは変化の必要性を自覚することはなかなか難しいものです。でも試練に直面すると、それを打開するために動かざるをえないような事態や思いになるのです。その意味では試練は私たちの生き方を変える大きな原動力や機会となるのです。確かにピンチをチャンスととらえる視点が持てれば新しい展望が開けてきます。

 

 パウロもこの視点をしっかりと持っていました。ピリピの教会に書き送った手紙の中で彼は自分の身に起ったこと、すなわち投獄されるという事態が、かえって福音を前進させることになったと言っています。投獄自体をみればそれは大きな試練であり困難です。悲観する材料はたくさんあったでしょう。しかしパウロはそれを福音が前進する機会となったとみることができました。第一は信徒たちがパウロの投獄によって燃やされ神の言葉を大胆に語るようになったこと。第二はパウロに敵対する人たちが党派心からこの機会を捉えて、悪い動機からではあるけれど、キリストを伝え自分たちの名をあげようとしていたのです。でもどちらにしても伝えられるのがキリストならそれを喜ぶ、とパウロは告白しています。何という前向きさでしょうか。

 

 私たちも嘆く材料には事欠かないかも知れません。でもそこに目を向けるのではなく、そのこと自体を支配しておられるキリストに目を向けるのです。神はこの試練をも用いて大きな栄光を表してくださると信じるのです。また、神の福音の前進のチャンスととらえるのです。

 

 あなたの嘆きを主に訴えてください。主の前に本音で祈り、その中で主の御手を信じて神の可能性を信じることができるように助けていただくのです。聖霊はあなたのために言い難い嘆きを持って執り成してくださっているのです。あなたの人生は必ず祝福されます。ピンチの後には必ずチャンスが来ます。主は全てのことを相い働かせて万事を益としてくださるお方なのですから。

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