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NO.008  2008.10.18

 「ピースチャイルド(平和の子)」

 

平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。 (マタイ5章9節)

 

  先週の月曜日、ダニエルキカワ師を招いてセミナーが開かれました。師は今まで世界の様々な国や民族の中で宣教活動をしてこられました。今回、各民族が持っている固有の文化の中にいかに福音を伝えていくかと言うテーマについて、示唆に富んだ提示がなされ、私たちも多くのことを考えさせられました。

 

私たちの周りにはいろいろな文化の壁があります。同じ日本人でも家族によって様々な習慣の違いがあります。また地域差もあります。考えてみれば聖書そのものもユダヤ文化を色濃く反映させている書物です。その聖書の御言葉が現代の私たちに十分に理解されるためには、祈りと聖霊の助けが必要なのはもちろんですが、教会のメッセージや解説、教えが大いに助けになります。

 

  ある宣教師の話が心を打ちました。その宣教師は首狩り族に宣教をいたしました。何ヶ月も土着の言語を学び、友達になるよう腐心し、一緒に生活をするまでになったのです。そうして、イエスキリストの生涯を一生懸命に彼らに語りました。ところが、彼らはイエスを信じるどころか、事もあろうにユダを英雄としてあがめるようになってしまったのです。

彼らの部族では、敵対する部族の一人に対して友達を装って3ヶ月ご馳走し、その後に首をはねて食べたという人がヒーローとしてまつられていたので、ユダは三ヶ月ではなく3年もイエスを騙したと言うことで、イエスではなくユダがヒーローになってしまったのでした。

 

  絶望した宣教師は宣教をあきらめて帰ろうとしたのですが、部族の人たちは帰らないようにと懇願したのでした。それは二つの部族がいつも争って戦うのですが、その場所が宣教師が住んでいる家の前の広場だったのです。戦いの度に傷ついた人たちの傷を拭き、介抱してくれていたのが看護師だった宣教師の奥さんでした。宣教師たちに帰られては困る部族長たちはお互いが和解することにしました。

 

 彼らは和解の儀式のために広場に互いに向かい合って一列に並びました。そうして、一方の部族の戦士が生まれて間のない幼児を相手の部族に差し出したのです。もう一方の部族長はその子供を和解の印として受け取り、その子供を部族ぐるみで育てていく事を約束するのです。子供を和解の印として差し出すことはその子の親にとっては大変な痛みです。でもその痛みを負いながら、自らの子供を相手に与える。そしてその子供を相手の部族が大切に育てていく。この和解の子供のことを「peace child(ピースチャイルド):平和の子」と呼ぶのだそうです。  

 

  この儀式の意味を知った宣教師は、このピースチャイルドこそ、神が私たちの罪の赦しと和解の印として与えられたイエスキリストに匹敵するという悟りが与えられました。そうして彼らに「このピースチャイルドこそイエスキリストである。」と語ったのです。するとどうでしょう、彼らはピースチャイルドであるイエスキリストをすんなりと受け入れ信じたのでした。また、その部族での大罪は和解の子を傷つけ殺すことが一番の大罪とされていましたので、結局ユダはヒーローの座から落とされることになり、イエスキリストこそがピースチャイルドとして受け入れられたのでした。今ではその部族は皆がキリストを信じ、また周りの部族に次々と宣教師が派遣するにまでなっているそうです。

 

  神は文化や価値観の壁を越えてすべての人々を救いに導きたいと願っておられるお方です。日本に住んでいる私たちも人々が受け入れやすいような伝道のあり方を考えていくことが必要です。豊かな実を結ぶために祈りの中で神が必ず知恵を与えてくださると信じます。さて、あなたの周りの人にどのように福音を語れば良いでしょうか?

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