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NO.007  2008.10.10

 「人の叡智を越えて」

 

あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。
そして、私のことばと私の宣教とは、
説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、 御霊と御力の現われでした。
それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。
(Ⅱコリント2:3-5)

 

  アメリカの留学から帰ってきたとき、日本の教会を変えるんだという思いがありました。純粋な動機で主に用いられたいという意味ならば素晴らしいのですが、その当時は、アメリカの成長している教会を見ていましたので、日本の教会にはこれも足りない、あれも足りない。ということが見えてきて(というか見えているつもりになっていた。)、今の教会を変えなければならないと思ってしまっていたのです。アメリカで学んだことをどんどん取り入れて、いままでの教会のやり方を変えようと思っていました。今から思えば、何にもわかっていない、高ぶった、本当に鼻持ちならない男だったと思います。

 

  そんな私の青臭さを知っておられたのでしょう私の主任牧師は、「大阪の茨木の教会が伝道師を求めているので、一年間行ってみないか。そこでいろいろ勉強してきなさい。」と言われました。結局一年ではなく二年いることになるのですが、そこでの伝道師生活は、わたしを大いに砕き、悔い改めさせられる日々でした。

 

  そこで学んだ第一のことは「仕える」と言うことでした。神に仕えるとは教会に仕え、人に仕えることに他ならないということです。来る日も来る日も唯、私がすることは教会チラシをもって一軒一軒訪問することでした。門前払いになったりすると、何でこんなことをするんだろうか。勉強してきたことはこんなことをするためではなかったのではないか。そんな思いが去来しました。しかし神様はそんな中で、神に仕えるとは、自分の思うようにすることではなく、あるいは自分の知っていることをみんなに押しつけることではなく、人々の必要を感じ取って、神の執り成し手となって祈ることなのだということを教えられたのです。私の説教もずいぶんと変わりました。なるべくわかりやすく、生活に適用しやすいようにと祈りながら御言葉を語るようになりました。神学校では学ばなかった多くの実践的なことをこの 2 年間の経験を通して学ばされたのです。

 

  パウロは学識豊かな伝道者でしたが、彼もまた生き詰まったことを告白しています。コリントの町に来たときの彼は恐れおののいていたというのです。彼の言葉を借りれば「説得力のある知恵の言葉」で人を導き救おうとしていたようです。しかし人間的な方法はすぐに行き詰まりました。そこで彼は「十字架につけられた方(イエスキリスト)のほかは、何も知らない」(Ⅱコリント 2 : 2 )という決心をして原点に返ったのでした。そうして御霊に頼ったときに、驚くべき神の力が起こってきたのです。そうして生まれたのがコリントの教会でした。私たちが砕かれて、十字架の福音以外語るまいと決心したとき、そしてそれこそが人を救うのですが、神のみ業が表されるのです。パウロの学識は素晴らしものでしたが、しかし、それで議論をしていた時は失敗をしました。しかし、自分の知恵のむなしさを知り、神の叡智の凝縮である十字架に立ち返ったとき、神のみ業が表されたのです。

 

私たちも、自己に死んで、神に仕えるように、お互いに仕えあうものとなろうではありませんか。神の知恵は私たちの知恵を遙かに越えて大きいのです。思うようにいかないときこそ、仕えることを学ばされている。祈らされている。砕かれている。そのように受け取りましょう。その時私たちの信仰は飛躍的に成長させられているのです。

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