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NO.006  2008.10.04

06

 イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。
まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、
この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。
どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。(マタイの福音書17:20)

 

  福田総理の突然の辞任にともなう自民党総裁選挙は麻生太郎氏が圧勝し、第92代の内閣総理大臣に選出されました。二人の総理が途中でその職務を投げ出したのですから、麻生新総理に対する見方も非常に厳しくさめたものがあります。10月に入ればすぐに解散、総選挙になるとも言われていますし、彼が総理大臣としての手腕を発揮する時間はそう残されてはいないかもしれません。

 

  しかし、もし総選挙で勝てば再任される可能性もありますので、そのときには総理大臣としてのビジョンを実行に移せる機会が訪れることになるでしょう。意外と実力を発揮するかもしれません。地位がその人をその器にふさわしい人へと育てていくということがよくあるのです。最初は頼りないように思えても、その中でもまれて、鍛えられ、総理大臣にふさわしい資質を身につけ、力を発揮するようになる可能性もあるのです。とにかく、慣習やしがらみを断ち切って大胆にチャレンジしてもらいたいと願うばかりです。

 

  どちらかというとわたしたちは縮み志向です。人はどう思うか、どう評価するかと周りをよく気にします。出る釘は打たれる。と思うと思い切ったことができません。また、周りの目を気にするあまり、失敗は許されないと思って大胆な事が出来なくなってしまうこともあるのです。

 

  神を信じる私たちは、大胆に失敗を恐れずチャレンジしたいものです。チャレンジする中で、神への助けと祈りが生まれてくるのです。自分ができる範囲でだけやっているのであれば、何の信仰のチャレンジもありません。

イエスは 「からし種ほどの信仰があったら、この山に、「ここからあそこに移れ」と言えば移るのです。」 と言われました。山が動くというあり得ないことが起こりうるというのです。もちろんそれは神がなされることにほかなりませんが、そこに求められているのがからし種の信仰です。

 

  からし種の信仰とは、私たちの信仰に対するチャレンジではないでしょうか。何か大きな信仰がなければ動かない、そう思って結局何もしなかったり、あきらめたりしていることはないでしょうか。神が求められているのは神にはできるという信仰とそれに向かって信仰の第一歩を踏み出す行動です。先を心配しすぎるあまり、一歩踏み出せなくなってはいないでしょうか。先のことは神様にゆだねて、ワンステップ踏み出すのです。自分の枠をでて、思いっきりチャレンジしてみようではありませんか。そのチャレンジ精神が、あなたの信仰の枠を広げ、器を大きくすることになるのです。

 

  できることだけで満足しているとするならば、信仰は必要ありません。自分ではちょっと荷が勝ちすぎる。難しい。挑戦だ。そんな事にチャレンジしてみようではありませんか。その時、神への助けの祈りが生まれ、飢え渇き、神の力を待ち望むようになるのです。あなたの前にある山が動き始めるのです。

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