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NO.003  2008.09.11

03

 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。
だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、
彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。(ヨハネの黙示録3:20)

 

 先日、大阪の小林秋子姉妹が東京ホープチャペルで洗礼を受けられました。小林睦巳兄のお母様で、ご家族に神様の救いの祝福が及んでおられることに心より感謝をいたします。小林秋子姉は3年前からほとんど休むこともなく大阪の礼拝に集っておられたのですが、洗礼を受ける決断には時間がかかりました。でも、その期間も必要であったのだと思わされます。今回の洗礼の決断はご自分が、ご自分の意志で決断をされました。それはイエス様のお声をご本人がしっかりと聞き取られて、ご自分で心の扉を開かれたのです。このイエス様とのやりとりが大切なのです。

 

 イエス様は私たちの心の扉をたたいておられます。しかし、その扉を開くのは私たち自身です。よく言われることですが、私たちの心の扉の取っ手は戸の内側にしかついていないのです。ですから、イエスは無理にこじ開けて入ってはこられないのです。

 

 私たちがイエスの声を聞いて戸を開くならば、イエスが言われているように「わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」という約束が現実のこととなるのです。

 

 イエスとともに食事をするとは、イエスとの交わりを表します。イエスとの交わりほど私たちの心を癒し、強め、生きる命をいただくものはありません。信仰生活とはこのイエスとの交わりを豊かに経験して歩むということなのです。

 

 あなたはイエスとともにいつも食卓について交わりを持っているでしょうか。楽しい命に満ちた、喜びの生活を送っているでしょうか。家族との団欒を思ってみましょう。一家団欒の食卓は会話に富み、その日一日あったことを分かち合ったりします。時には悩みや苦しいこともはき出したりすることもあるでしょう。子供に食欲がないと親はすぐにわかります。どうしたのだろうかとその理由を聞きます。そのようにお互いのことを気遣いながら交わり、その絆を深めていくのが家族です。

 

 あなたはイエスとそのような交わりを持っているでしょうか。イエスを信じて洗礼を受けたけれどイエスが外に立っておられるということはないでしょうか。あなた自身が一人で一生懸命家の中で、自分で問題を何とかしようともがいていることはないでしょうか。ちゃんと自分でできるようになったらイエス様にもう一度入ってもらおう。そう考えているとするなら、イエスは悲しまれるでしょう。あなたの中に入ってその問題をイエスご自身が取り扱いたいと願っておられるのです。自分では無力でできないこともイエスであれば可能となるのです。どうかイエスをあなたの心の中に迎え入れてください。一人でがんばらないでください。あるがままでイエスを迎え入れましょう。そしてイエスと食卓に着き交わりそのものを楽しむ者となりましょう。すべてはそこから始まるのです。

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