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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.392 2025.01.05

■黙想エッセイ

 

多くのクリスチャンは、自分の霊的・肉的状態が最も良いときに、神様に使命を与えられると考えています。しかし、この世の人々に認められるようになれば神様から使命を与えられるという考え方は間違っています。召しをいただくのに、自分の状態は重要ではありません。自分を召してくださる方が神様であるということこそが重要なのです。自分の状況が良くないと考えて、神様の召しを受けても拒む人がたくさんいます。食べていくのがやっとの状況で神様から使命を与えられたなら、「はい!」と自信をもって答えることは難しいでしょう。
ある人は「後に状況が良くなったら従います」と言います。自分が神様に召されても大丈夫だと思えるときに従おうとするのです。しかし、それは、神様の判断よりも自分の判断のほうが正しいと言っているようなものです。恥ずかしいことに、私も神様の召しを前にして、まず自分の状況を考えたことがたくさんあります。自分自身を見つめると、勇気ではなくため息が出ます。しかし、私を召し、ともにいてくださる神様を見上げるなら、絶望は消え去り、希望が生じます。神様の召しを受けたなら自分の状況ではなく、神様がどのような方であるかを考えるべきです。 全能の神様には不可能なことはありません。ですから、心配せず、神様のみこころを信じて「アーメン!」と答えて進んでいけばよいのです。

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