閉じる

◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.375 2024.09.08

■黙想エッセイ

 

私は職業を決めるとき、「神様、どうか私が何をするべきか教えてください。教えてくだされば、それに従います」と何度も祈りました。しかし、何の声も聞こえてきませんでした。実際、私が求めたことは「私の人生に対する神様のみこころ」ではなく、難しい決定を下すことに対する負担から早く抜け出すことでした。選択と従順に対して理解しようと思うなら、まず私たちに対する神様のみこころは私たちの内的変化にあるということを知らなければなりません。私たちの人生に対する神様のみこころは、私たちが何をするか、どこでお金をどれだけ稼ぐかではなく、私たちがどのような人になるかにあります。つまり、私たちが健全なと神様の愛を持った、敬虔できよい人になることです。
子どもが立派な人になることを願う親であれば、子ども自らが多くの決定を下すことができるように助けます。それが、強い意志と判断力を養うのに有益だからです。神様も私たちの自発的な選択と従順を期待しておられます。それは、神様がほかの何よりも私たちの人格と人柄に関心があり、私たちを本当に愛しておられるからです。

閉じる