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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.355 2024.04.21

■黙想エッセイ

 

クリスチャンの「義認」 と 「聖化」 を引き離して考える人がたくさんいます。「義認」は信仰によって得ますが、「聖化」は行いによって得るものだと錯覚しているのです。しかし、聖書は義と認められたその信仰は聖化を促すと教えています。つまり、神様のいつくしみに信頼する信仰は、必ず従順につながる
のです。フラー神学校の教授であるダニエル・フラーは、これを医師と患者の関係にたとえて説明しました。もし患者が医師を信頼するなら、彼は医師が診断し、処方してくれる薬を服用するでしょう。しかし、医師を信頼しないなら、患者は医師が出した処方薬を買っても、きちんと服用しないでしょう。同じような原理として、神様への確かな信仰があれば、喜んで神様のことばに従うだろうというのです。
信仰は従順だけでなく、忍耐を生みます。神様が罪人を義とされる信仰は、ただ一度神様を信じると告白することで終わりではありません。最後まで忍耐するのが信仰です。一度神様に信頼し、その後は自分勝手に生きるのではなく、生涯忍耐し、最後まで主のいつくしみに拠り頼むとき、救いが完成するのです。神様に信頼するなら、その人が見つめる未来は希望と期待に満ちることでしょう。全能であり、いつくしみ深い神様、少しの失敗もなさらない神様が、無の知恵をもってすばらしい道に導いてくださると信じるからです。

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