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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.353 2024.04.07

■感謝の証②

 

主のみ名を賛美します。半年くらい前のことです。同居している娘が「警察に呼ばれちゃった」とうろたえながら帰ってきました。閉まっているシャッターに自転車でぶつかって傷つけたのですが、大したことはないと思ったのでそのまま通り過ぎました。ところが後日「シャッターにぶつかったようですが、怪我などしていませんか、何かお手伝いしましょうか」という優しい言葉使いでしたが、実は誘い出すための言い回しであり、防犯カメラで撮られた写真とともに掲示されていた、とのこと。実はその訴えた人は警察ではクレーマーとして有名な人なので、警察の方でうまく処理してくれたようです。警察に何度か行き来をし、必要な手続きを取りましたが、ある時不安そうに「私がもし捕まったら見捨てられたり、離婚されちゃうかな、、、、どうしよう」など不安そうです。そこで「たとえ刑務所に入るようなことがあっても、見捨てたり親子の縁を断ったりしないよ」と安心させました。
古い話ですが、あさま山荘事件の時、人質と共に立てこもった犯人に対してその母親が説得にあたりました。息が罪を犯してもなお、これ以上深みにはまらぬように説得する母の愛。私たちの罪のために十字架に架かって下さったイエスの愛に通じるものがあります。
さて、大谷選手と水原通訳の事件が起きました。まだ捜査中ではありますが、水原通訳のご両親は水原通訳のことをどう思うでしょう。罪は犯してなお、見捨てたり親子の縁を切ったりはしないでしょう。では、大谷選手は水原通訳のことをどう思うでしょうか。以前のように同じ仕事はできないかもしれませんが、どこまで赦すでしょう。確かに罪は憎むでしょう。しかし、罪を償うのは当たり前とし、水原通訳自身のことはどれほど憎むことになるのでしょうか。
以前の私なら、こんな罪を犯した人とは絶交だ、と即断したことでしょう。しかし、このような発想をするようになったのはイエスの愛を知ったからに違いありません。大谷選手は人間的にも敬意を表するに値しますが、それに加えてイエスの十字架の意味を知り、イエスの愛のホンのひとかけらでも実践してほしいものだと願う今日この頃です。
(風間真也)

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