■黙想エッセイ
「信仰」を理解するとき、何でも信じさえすればいいという間違った盲目的な考え方があります。しかし、救いに至るまことの信仰は、3つの要素、つまり「知識と同意と信頼」を必要とします。「知識」とは信仰の内容です。救いに至らせる信仰は、正しい知識から始まります。私たちがイエス・キリストを信じて救われるためには、神様がイエス・キリストにあって行われた救いのみわざ、すなわちイエス様の誕生と働き、そして死と復活についての正しい知識がなければなりません。
次に、その知識に対する意志的な「同意」がなければなりません。パリサイ人をはじめとする宗教指導者たちには知識がありました。しかし、その知識に同意せず、むしろイエス様を捕らえて殺そうとしました。知識があるからといって、信仰が生じるわけではありません。意志的な同意がないのなら、正しい信仰ではありません。
最後に、信仰は知識や同意とともに、イエス・キリストに対する全的な「信頼」がなければなりません。人格的な信頼が信仰の基礎にならなければなりません。信頼とは、イエス・キリストに対する知識と意志的な同意を経て、実際に自分の人生を神様に委ねることです。信徒は、イエス・キリストのみわざと力を信じて、神様が自分の王であることを認め、神様に人生のすべてを委ねなければなりません。さらに、永遠の人生を委ねなければなりません。このような信仰を通して、キリストのうちに完全にとどまることができるのです。