■黙想エッセイ
待ち望むことで実を結ぶその時は、神様が定めた時です。神様は自分を信じて待っている者を決して放っておきません。むしろ大切に見ておられ、今まで蓄えておいたプレゼントを雨のように注いでくださることを喜ぶお方です。その方は私たちの良き父なる神様だからです。
私たちは時折、神様が私をお見捨てになったと思われる時があります。ダビデも心が苦しい時このように告白します。
わが神わが神どうして私をお見捨てになったのですか。私を救わず遠く離れておられるのですか。私のうめきの言葉にもかかわらず。わが神昼にわたしはあなたを呼びます。しかしあなたは答えてくださいません。夜にも私は黙っていられません。
詩篇22:1-2
特に辛くて苦しい時が続くようになれば、信仰が弱くなり意欲も失われたりします。そんな時、私たちも気づかないうちに不平不満が込み上がってきて、唇で神様を恨むこともします。この危機をちゃんと乗り越えて行くべきです。その山を越えるべきです。ダビデの困苦の心情までも見ておられるお方がまさに神様であることを信じるべきです。
私たちは神様を見ることができず、信じることができないような者ですが、その方は眠ることもまどろむこともなさらず、私たちを永久に守るお方です。今、私たちの状況がいかなる場合でも神様は変わることなく私たちを守ります。
モーセは荒野で長い道のりの末に、神様が認めるイスラエル民族の指導者となりました。楽な歳月ではありませんでした。贅沢に暮らしていたエジプトの王子から、荒野で羊を飼うことがいかに大変なことだったのでしょう。それも40年の間です。
すべてのクリスチャンには“神の時”があります。その時になればすべてのことが解かれます。そのときになればすべての問題が解決されます。それゆえ私たちは神様の時を待ち望みつつ感謝し、喜びながら生きるべきです。なぜなら、神様はその待ち望む過程までも見守り養うお方だからです。