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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.278 2022.10.30

■生きる意味、後悔からの解放①

 

生きる目的が知りたい、過去の後悔から解放されたいという祈りの答えを通して、神様は親が子を愛するように、それ以上に、愛してくださっていると感じました。
仕事が願い通りに行っても、人々に福音を伝えることができても、奉仕が楽しくても、何だかすごくむなしさを感じていました。何かをしてもむなしさを感じるし、福音は行いではなく恵みと知って喜びがわき上がったので、私にとっては何かをすることが生きる目的ではない気がしていました。神様が心にいることを知って昔の傷から解放されたこともあったので、造られた目的は神様を自分の内に入れることというのは、しっくりくると思いました。ただ、人と愛し合うことも私にとっては満たしを感じるので、それも目的かもしれないとも思いましたが、それが一番私にとって偶像になりやすいとも思っていました。その後、競争社会であるこの世の考え方と違いすぎてつかみづらいけれど神様の愛は競争で得るものでなく、すべての人に与えられて尽きることがないと知り、1日1デナリで働くたとえ話(マタイ20:1~16)を初めて恵みだと、人と違う神様のきよい愛だと感じました。そして、神様は多くの人を導いてほしいからあなたを選んだ訳じゃない、神様の最大の願いは神の愛を受け取り、神を愛して一緒に生きていくことと語られたといった内容の献身者の証を聞き、私は生きる目的、造られた目的は神様と愛し合い共に生きることだと感じ、それから以前のようなむなしさを感じることがなくなりました。
「自分のもので自分のしたいことをしてはいけませんか。それとも、私が気前がいいので、あなたはねたんでいるのですか。」(直訳:私が良いので、あなたの目は邪悪なのか)(マタイ20:15)
「イエスは答えられた。一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』」(マルコ12:29-30)
(高橋 玲)

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