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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.268  2022.08.21

■黙想エッセイ

 

2015年、長年一緒に住んでいた私の母が弱り、介護が始まりました。以後、母の介護度が増すに連れ、所属する宣教団日本事務局での私の任務は同僚の他のスタッフたちに全面的に頼らなければならなくなりました。2020年、母が天に召され、私が事務所へ戻れる段になったとき、私自身以前のように動けるエネルギーがないこともあり、私の事務所での最後の仕事は、事務局を他の宣教ベースに移動し、業務をそちらに任せることと悟りました。おりしも私たちの宣教団体では世界規模での祈祷週間を迎え、日本事務局のスタッフは断食して神様からの導きを求めました。神様は事務所を他の地域へ移動させることに対してGOを出しているという確信は与えられました。しかし、そこから具体的にどう進んだらいいのか・・・・
宣教団体を支える事務所の仕事は誰かがやらなければならない仕事であっても、宣教師誰もができる仕事ではなく、また誰もが是非やりたいと願う仕事でもない、かといって、宣教師自らがスタッフ費を献金して運営している団体にとって人を雇える余裕はない、目の前には厳しい現実が・・・そんなとき、静岡で農業をしている姉妹から送られてきていた数枚の写真がふと私の脳裏に浮かびました。それは彼女の畑で青々と育った野菜の数々、そして近所のお年寄りから借り受けた荒廃した畑の姿、そしてそれを耕していく行程を収めたものでした。
荒れた耕地に対してまずしなければならないことは、土の中に埋もれた様々なゴミを取り除くこと、これが半日はかかる大変な作業。次に固くなった土を耕運機で耕していく、そして水を灌ぐ、それから種を撒く・・・・・。すぐにマタイ13章3~8の御言葉が思いだされました。翌日、私はスタッフにこの写真から与えられた御言葉を分かち合いました。神が与えようとしているものを見るために、まず私たちの心という土壌にあるゴミを取り除くこと。全員で主の前に静まると、一人一人示されることを告白し始めました。
日本事務局で働かせていただいたことから多くの恵をいただいていたこと、感謝を忘れていたこと、団体のリーダーだった人たちに対する尊敬が足りなかったこと、神様に対する信頼が足りなかったこと、などなど。最後に聖霊の注ぎを求めました。
そして、次回までに、是非、事務所移転に関して撒く御言葉をもってきてほしい、とお願いし、次回集まり賛美し聖霊を求めた後、それぞれが信仰をもって御言葉の宣言をし、種まきをしました。
ルカ1:37,マタイ21:21~2.イザヤ54:2,詩篇127:1~2,エペソ1:18~19,他。
その後、話し合いの中で、具体的な移転先候補、各業務の担当候補、移転行程のタイムライン、などスルスルと具体的な提案がまとまり、役員会に提出したところ、役員会でも祈っており、彼らもほぼ同じような結論に至っていたという驚くべき返答がありました。かくして、「事務所移転」というほぼ不可能に思えた課題は、神様の導きによって現実のものとなりました。まさに「神にとって不可能なことは一つもありません。」アーメン(川本 千織)

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