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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.182  2020.12.27

■「主に守られて」②

 

それから西田先生はずっと私の話を黙って聞いてくださいました。不思議なことに、初めてお会いした牧師さんなのに包み隠さず話すことができ、臨床の心理士を目指して傾聴に取り組んでいた私は、涙がとめどもなくあふれ、単なる傾聴ではなく、主に守られ、導かれている霊のようなものを感じました。胸につかえていたものが一気に溶けて楽になりました。
深川住吉町で生まれた私は戻りたい気持ちがあったので近くの住宅を探したりしましたが、なかなか思うようにはなりませんでした。主の素晴らしさ、とりなす牧師さんの凄さに感動しました。
平塚に戻ったところ、周りの知り合いにクリスチャンが多いことを聾唖のボランティアを通して知りました。そして人の温かさ、自然の素晴らしさも改めて感じ、毎日犬の散歩で出会った老夫婦のクリスチャンから近くの平塚の教会に招かれました。
けれども最初に門を開けてくださった西田先生は母教会の牧師さんのようで基本はいつもそこからです。ですから西田先生の横行結腸がんの知らせをお聞きした時は腰が抜けるほどびっくりしました。また、コロナ禍でも4月29日からオープンした今日のマナに最初にお招きいただき感謝しています。毎日のみことばは不安を一掃してくれる主の守りであり、導きでもあります。一節、一節の説教は貴重で、その時に感動しますが老いの頭は、すぐに忘れるので必ず記録することにしています。また、テーマがあるのでそれも記録しています。私は子供時代に日曜学校に行っていましたので、もしかしたら主が守ってくださっていたのかもしれません。
洗礼前に、苦しい時に、明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。というマタイの福音書6章34節の主の恵みのみ言葉はずっと私の生活に根付くようになりました。今日のマナは聖書に結びつける実話が盛り込まれ、主の臨在を感じて感謝します。すべての栄光を主にお返しいたします。 (原田敏子)

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