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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.124  2019.11.10

■大阪ホープチャペルの紹介と証③

 

「あなたの父と母を敬え」モーセの十戒のひとつですが、「自分の父または母をのろう者は、必ず殺されなければならない。」(出エジプト21:17)とまで記されています。建築板金業を営んでいた父は仕事場は屋外ですから日が暮れると帰ってきますので夕食はいつも家族一緒でした。一家団欒の食卓をイメージするでしょうが我が家の場合はアルコールが入ると180度人が変わる父がひとり不満、愚痴をまきちらす独演会の場でした。夕食時はその程度ですが月1回同業者の組合で外で飲んでくる時は決まって大声でわめきちらし母に手を上げることが度々ありました。今で言うDVというやつです。私はそんな父を見て弱い立場の者に手を上げるなんて許せない、こんなひどい大人には絶対なるものかと「反面教師」としての父の闇の部分をいつも「のろって」いました。
しかしイエス様にこの苦々しい思いを 預け始めてからすぐにとはいきませんでしたが、徐々に父の「闇」の部分ではなく「光」の部分に私の焦点が向かうようになりました。
父は私が生まれて間もないころはどこに行くにも私を車に乗せて連れていき、小学校になるとキャッチボール、凧上げなどいつも付き合ってくれました。そうなんです、お酒が入ってないときは本当にやさしい、いい人だったんです。35年前に父は亡くなりましたがその数ヵ月後高校の野球部時代の先輩マネージャーから「今西くんのお父さんが練習中こっそり監督さんに会いに来て『うちの息子は死ぬまでやれと言ってもやりますからどんどん鍛えてやってください』と挨拶に来てたよ。」と教えてくれたことを覚えています。父の私への絶大なる信頼そして面と向かって恥ずかしくて表現できなかったであろう私への愛を確信しました。
私が小学校のころ行かされた書道塾を一週間ほどでやめたのですがその後父が代わりに書道塾に通い始めました。変わったおっさんやなーと思ってましたが父は子供のころ画家になりたかったのが兄弟も多く、裕福ではなかったのであきらめたのです。芸術が好きなので書道をやってみたかったのでした。夏は熱いトタン屋根、冬は寒風のなかの仕事の後休まず塾に通い、昇級、昇段して展覧会に出展するまでになり、晩年は近所の子供に教えるまでになりました。神様の取り扱いによりその父の姿をまざまざと思い出した時好きなこと、やりたいことをやるのに難しい状況であっても決してあきらめずやり続けることの尊さを胸に刻むようになりました。
私がゴルフのティーチングプロの資格を50歳で取得し、シニアツアートーナメント出場を目指して日々のトレーニング、練習に取り組めるのも父の姿が焼きついているからだと思います。神様は私をどのお父さん、お母さんに預けようかと世界中を巡った末にこのお父さん、お母さんなら間違いないと確信して預けてくれたのでしょう。人は誰でも「罪人」ですから親といえども「闇」の部分もありますがそこは神様の御翼に覆っていただき、「光」の部分に焦点を合わせるとそれに照らされて私も輝けると信じます。今年の予選会は1勝5敗でしたが、神様のもと常に「人生の勝利者」でありたいと思います。(今西俊夫)

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