■平野 和美
私は養育を受けて神様は遠い存在というものではなく、いつもともにおられ、いつも私を愛してくださるということを知ることができました。今までは礼拝に参加していれば立派なクリスチャンだと思い、礼拝にさえ出ていれば自然に成長していくものと考えていました。
けれど何年たっても、赤ちゃんクリスチャンのまま成長は止まり、神様に対しての感心も弱くなっていきました。そんな中で「養育を受けたい」という思いになり、養育に参加することができました。養育の中で祈りの大切さや教会での交わりを学び、すべてが新しく知ることで自分の中でとても満たされる気持ちになり、信仰も日に日に強くなっていきました。そんな中で、職場が変わり、とても辛い状況に置かれることになり、職場での人間関係が上手くいかず、仲間はずれや無視をされるようになりました。養育を受けて恵まれれば恵まれるほど状況はどんどん悪くなる一方でした。
「どうしてこんなことが起こるのだろう?」「神様は私を愛してはいないのだろうか?」そんな疑問を抱きながら職場の嫌がらせをしている人のためにも祈っていました。それでも状況は変わらず、ついに辞める決断をしました。祈り決断した時にとても平安になり、「どんなことになっても神様が守ってくださるから平気だ!」という気持ちで前向きな思いで過ごすことができました。職場に行っても状況は変わらない。けれど神様は私の右におられ、左におられ、前におられ、後ろにおられ、全身を守ってくださっているのがわかり、背中がとても熱くなりました。
職場の問題を教会の皆さんにもお祈りしていただいていたのでとても心強かったし、祈りが聞かれるのがとてもはやく感じ、祈りは本当に聞かれるんだという経験もしました。職場の辛い経験を通して学んだことは、たとえ理不尽な状況にあり、だれにも理解してもらえなくても「神様だけは私の気持ちを理解してくださっている」ということ。どんな時も神様は私を守り、ベストを尽くしてくださるということを学びました。そして一番は命を捨ててまで私を愛し、とこしえまでもともにいてくださるということを、頭ではなく心から理解できたことが私にとって本当に養育受けてよかった、ということです。ほかのどんなことよりも神様を心から知ることができたのは、人生にとって大きな財産になりました。これからは自分の賜物を活用して神様に栄光を返していきたいです。今までは奉仕に対して恐れや人の目が気になってできなかったけれど、自分の弱さ強さを理解してくださっている神様に信頼して歩んでいきたいと思います。(平野 和美)