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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.109  2019.07.28

ユース集中訓練に参加して

 

私が洗礼を受けてから2年経ちました。洗礼を受け聖書やイエス様の教えを学べば私の心も救われると思っていました。ところが職場で些細な事で私が我慢することが多発し、他の人は気ままに過ごしているように見えて腹が立つようになり、上司に私の気持ちを何度話しても理解してもらえず、これは神様が私を訓練
するために与えてくれたことだから受け入れようと思いましたが、「何故私ばかり我慢しなくちゃいけないの?今までも私は真面目に頑張ってきたじゃない。でもそれが報われたことなんてなかった」「神様にとっては頑張ってる私も、適当にやってる人達も同じなの」 「神様は私を見てくれないの」と思うようになりました。
毎日喜びなさいと言われても長年、頑張っていた事がが報われない為に心がひねくれてしまいそんな事は無理だと思うようになっていました。さらに私は洗礼を受けるの早すぎたとまで思うようになりました。この気持ちを一人で抱えているのが辛くてセルリーダーにメールしました。
セルリーダーは人を評価するのは神様なのに私が人を評価していた事、普通に出来ている事に感謝する事を教えてくれました。また朴先生のメルマガの事も教えてくれました。早速読んでみると「努力したから幸せになるのではなく、神様は最初から私たちを幸福に造って下さった」と書いてありました。メルマガを読んで気持ちは癒されました。
けれども神様に私が愛されているとは信じ切れず、喜び方もわからなかったので神様に「神様に愛されていることを信じ切れないのは何故か。喜べないのは何故か」とお祈りし、弟子学校で西田先生が教えて下さったように神様のお声を聞くために黙想しました。
そうしたら「あなたが条件付きで人を評価し好きになっていたから。喜びたい事を自分で決めてるから」と小さな声がしました。それは神様の声だと思いました。駄々っ子のような私に答えて下さったのです。まるで放蕩息子の兄を諭す父親のようでした。神様の愛に感謝し、黙想する事を教えて下さった西田先生、祈りのきっかけを教えてくれたセルリーダーに感謝しました。
 日曜日の礼拝で西田先生が語られた、放蕩息子の兄のみ言葉のメッセージは私に語られているようでした。これらの事から神様は私を回復させようとして下さっている事に気づかされて嬉しくなりました。
長年神様ではなく、人との比較の中で生きてきたのでそれが自分を苦しめる事になるのはわかっていても抜け出すのは簡単ではありません。神様は私が神様の元を離れないように見守って下さっていることが確信できて、少しずつでも神様の思いで生きていけるよう、神様の思いに答えて生きたいと思っています。(宮 恵子)

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